星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・PhotoMovieで見る 城館をどうぞ!! 鮫ヶ尾城 新潟県妙高市 - 古城巡り 写真館
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鮫ヶ尾城 新潟県妙高市

鮫ヶ尾城










鮫ヶ城 遠景
鮫ヶ尾城 遠景



鮫ヶ尾城は、16世紀の後半に春日山城の前衛として普請された頸城地方最大の支城といわれています。越後を二分する大戦乱に発展した御館の乱の終焉の地でもあり、同盟の証として越後入りし、謙信の後継者と目されながらも最後は近臣の謀反によって非業の死を遂げた三郎景虎が自刃した場所としても知られています。御館の乱は、北日本屈指の大国であった越後国内のみならず、日本列島の勢力構図をも一変させうる戦乱でした。こうした大乱の由緒地であり、その存在を示す良好な歴史資料として高く評価できるものです。
 また、遺構を見ると、御館の乱で廃城になり、城郭構造の転換期とされる豊織期に増築・改変がなされなかったことから、信越国境の軍事的緊張が極度に高まった天文・永禄・元亀年間における山城構造を知るための好例とされています。上杉謙信・武田信玄の両雄を歴史の表舞台に引き出した川中島の合戦があまりにも有名ですが、そうした信越国境の軍事的緊張が高まった時期の姿を忠実に留めているという点で大変貴重な山城跡です。
 三郎景虎は北条氏康の子息として数奇な人生を送った人物という評価に留まらず、「関東一の美青年」と記す史料の存在が実像を脚色し、義経伝説にも似た悲劇的な内容で語られることが少なくありません





 山頂曲輪を基点に三方に分岐する尾根のうち、東へ向けて長く、緩やかに下降していく稜線上を東登城道、南へ向けて急勾配で下降する尾根筋を南登城道と呼んでおり、現在でも、それぞれにおいて道方の痕跡を断続的に確認することができます。現在は斐太歴史の里総合案内所を出発する後世の里道が遊歩道整備され、最も一般的な登城道として利用されています。
㊟2017.9.24現在は工事の為北登城道からはいけません





鮫ヶ尾城に関する記録はほとんどなく、唯一とも呼べる史料が天正7年3月19日付けや同年同月24日付けの上杉景勝書状です。それぞれわずか数条の記載ですが、当時の城主が堀江宗親であったことや、御館の乱の際に敗走してきた景虎が関東出奔を前に鮫ヶ尾城に立て籠もったが、堀江氏が景勝に内応したことによって落城し、山中にて自刃したことなどを知ることができます。堀江宗親は天正6年5月以降の御館周辺の攻防にも主力として参加した景虎方の有力武将でした。
 鮫ヶ尾城の築城時期に関する記録はありませんが、信越国境への侵攻が脅威となり、春日山城や飯山城等の領内の主要な城館の増改築が盛んに行われた天文・永禄・元亀年間(1532~1572)頃とする説が有力です。発掘調査でも16世紀後半の陶磁器片が数多く出土しました。
 また、近年の通称二ノ丸や三ノ丸を対象とした発掘調査では、天正七年の大火落城の記録を裏づける物証となる、被熱した陶磁器片やおにぎり形をした炭化米の塊などが多数出土しました。





鮫ヶ尾城 堀切6
鮫ヶ尾城 堀切6




鮫ヶ尾城 米倉跡
鮫ヶ尾城 米倉跡




鮫ヶ尾城 本丸
鮫ヶ尾城 本丸




鮫ヶ尾城 城址碑
鮫ヶ尾城 城址碑




上杉景虎供養塔 勝福寺 居館跡
上杉景虎供養塔 麓勝福寺 城主の居館跡





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