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古城巡り 写真館
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津和野城 島根県津和野町

2017/09/13
島根県 0
津和野城 Google









津和野城は町の南端に位置する標高370mの山上にあった。別名を三本松城、蕗(ふき)城、山の名を霊亀山という。南北3kmにのびる丘陵上にあり、中世には全山が城塞として使用された。

 元冠にさいして、西国防備を命じられて西石見吉賀地方に下向した吉見頼行が、永仁3年(1295)から築城にかかり、約30年の歳月をついやして完成したと伝えられる。山上をけずり削平地とし、山の峰つづきに堀切をつくった典型的な山城であった。石垣構築は室町末期といわれる。

 関ケ原の戦いの戦功で入城した坂崎出羽守成正は、城郭の大改築をはかり、本丸の北方約200mの山頂に側面防衛のための出丸である織部丸を築いた。今日残る遺構の大部分がこのとき築かれたものである。また城の内堀は城山をめぐって流れていた津和野川をあてた。亀井氏になって寛文年間(1661〜1673)に現在の大橋から横掘までの約1kmにわたって外堀が掘られた。

 吉見氏14代319年間、坂崎氏1代16年間ののちは、明治維新まで亀井氏が11 代225年にわたり城主として在城した。貞享3年(1686)に天守は落雷のため焼失し、その後再建されることもなく、明治7年(1874)に石垣を残して解体された。その間、吉見氏十一代正頼が天文23年(1554)、陶晴賢の大軍をこの城で迎えうち防戦した戦史がある。

 現在は太鼓谷稲成神社の参道からリフトによって約5分で頂上に達する。城郭建造物は何もないが、全曲輪の石垣はほぼ完全な形で保存されている。東部の高所が本丸跡、西のやや低い所が天守台、また南門跡をつなぐ石垣は広壮であり、吉見氏後期に改築した大手ははぼ東北にある。東門跡、三段櫓跡、腰曲輪跡の石垣は階段状に延々と連なって雄大である。さらにその北方やや低い所に三本松平をへだてて、普請奉行だった浮田織部の名をとった織部丸があり、東麓に館跡や侍屋敷跡がある。古城の旧態をよく保ち、ことに石組の堅固さ、雄大さは比類のないものである。








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津和野城天守台



津和野城 人質郭
津和野城 人質郭




三十間台
三十間台





津和野の街並み
津和野の街並み





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樋口山城守与六
Admin: 樋口山城守与六
関東を中心に、全国の城館をPhoto・PhotoMovieにて紹介します。近年(又は現在)の城館を紹介して行きます、以前は藪の中で在ったが現在は綺麗に整備された遺構を又は破壊、消滅された遺構も現在の在るままを紹介します,目に見える写真で城館を記録していきます・・・・・・・・・・・・!!デジブックは2020年3月31日に閉鎖になりました、沢山の御視聴ありがとう御座いました。
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