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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photo Movie で見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

古城巡り 写真館

PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
城エクスポ2019

浪岡城 川原御所 北畠氏累代の墓 青森県青森市

浪岡城 川原御所 北畠氏累代の墓









戦国の豪族北畠氏の居城。浪岡町中心部の東方、浪岡川正平津川合流点右岸段丘面に築かれた平城。築城は15世紀後半の4代顕義のころとされる。北畠氏は建武の新政(1334~36)に活躍した北畠親房の子孫。「御所」の敬称で呼ばれる。京都の公卿の日記にも登場。浪岡へは応永年間(1394~1428)に来住、岩手県閉伊地方に住んでいたのを南部氏が津軽支配にその権威を利用しようとして連れてきたといわれる。
 浪岡城は東側から新館、東館、猿楽館、北館、内館、西館、検校館の7郭と発掘によって発見された無名の館で構成されており、(指定面積は約13万6千m2)城跡は20数年の発掘調査で復原が試みられ、史跡公園を目指している。内館が城主の居住した館で、他の館に武家屋敷の建物があり、堀が各館を分ける。
 出土物4万点の中に陶磁器が1万6千点、その半数以上が中国製で、北畠氏の文化の高さを示す。また北畠氏の特別の権威を示す中国製茶壷もある。浪岡城は天正6年(1578)大浦為信によって落城した。
現在城址は史跡公園として整備がなされている。


浪岡城 看板
浪岡城遠景





北畠氏累代の墓
北畠氏累代の墓、畑の中に淋しく残る!!




川原御所は、浪岡北畠氏の庶流川原御所北畠氏の居館である。北畠顕家の弟顕信の子守親の子孫が浪岡に入部し、川原御所を築いたとされる。川原御所北畠氏は後に絶えた為、浪岡北畠氏6代具永の次男具信が川原に入って川原御所を再興した。1562年、領地争いが原因で、川原御所具信が浪岡城主北畠具運を殺害すると言う「川原御所の乱」が発生し、間もなく具信父子は誅殺されて川原御所北畠氏は滅亡した。以後、浪岡北畠氏は急速に衰退し、後に津軽氏の攻撃によって滅亡した。
現在の御所跡は宅地となり遺構は確認できない。



川原御所
川原御所の碑、民家の軒先に在る

㊟2013年7月に登城

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