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古城巡り 写真館

PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
城エクスポ2019

膳城 群馬県前橋市

膳城






膳城は赤城山南麓を代表する中世のお城です。兎川(うさぎがわ)と童子川が合流するところ、この二つの川には東側と西側をけずられた台地のところに、何本もの堀を掘ってつくっています。
膳城はこのあたりを治めていた膳氏によってつくられ、室町時代から戦国時代にかけて使われた城です。城主は膳氏、河田氏と変わっています



膳城 城址碑
膳城 城址碑



膳城 本丸
膳城 本丸 
戦後、国会議員だった膳桂之助氏が本丸一体を買い上げて地元に寄付し、地元の人たちが大切に守っている城です。




この城をつくった膳氏のことは鎌倉時代の記録にものっていますが、膳城が造られたのは室町時代の中頃だろうといわれていますが、はっきりしません。そのころ関東全体は鎌倉公方方と関東管領方に分かれて争っていました。享徳4年(1455)には、管領方についていた膳信濃入道が公方方の赤堀氏に夜討ちをかけられて、城が焼け、追い出されるという事件が起きました。この時、膳一族がいたのが膳城だったろうといわれています。
戦国時代に入ると膳氏は桐生助綱に追われ、20年近く膳城には桐生氏が入ることになります。そして膳氏は太田金山の城主、由良成繁の家臣となり、その助けによって長享2年(1488)ようやく膳城に戻ることができました。
それから60年ほどたつと南から相模の小田原を本拠地とした北条氏康がせまってきました。するとこんどは北から越後を統一し、管領家をついだ長尾景虎(ながおかげとら:のちの上杉謙信がやってきました。ところがしばらくすると由良成繁は管領方から北条氏と手を組んでいた古河公方家の家来になりました。そのため由良氏は上杉氏と対立することになります。膳氏は上杉謙信に従いますが、元亀3年(1572)に落城。膳氏が戻ることはありませんでした。
その後、膳城は由良氏、上杉氏、北条氏がかわるがわる占領し、河田備前守が城主のとき甲斐(かい:今の山梨県)の武田勝頼(たけだかつより)によって攻め落とされます。この戦いは鎧をつけずに城を占領したという「素肌攻め(すはだぜめ)」の伝説がありますが、きちんとした戦いだったようです。その後、膳城の記録は見られなくなります。
膳城の中心部分はいまでも良く残されています。また、本丸の北の北曲輪の一部が発掘調査されています。その結果、本丸から北に続く堀は堀底に幅80cmほどの溝が平行に2~3本掘られている「畝堀」という珍しい種類の堀であることが分かりました。また、北側の堀には木橋のかけられていたこともわかり、北曲輪の中から建物跡や井戸などもみつかり、15世紀後半から16世紀の特徴を持つ、かわらけという皿や内耳鍋なども出土しています。




膳城 南曲輪と追手曲輪間の空堀
膳城 南曲輪と追手曲輪間の空堀



膳城 本丸北側の堀
膳城 本丸北側の堀



膳城 外堀
膳城 外堀


完成 膳城@ヤマシロ
㊟イメ-ジ図になります


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