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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photo Movie で見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

古城巡り 写真館

PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
城エクスポ2019

米沢館山城 山形県米沢市2017

米沢館山城① 東館






米沢館山城② 南虎口から曲輪2







米沢館山城③ 曲輪3から南虎口へ







館山城2017
館山城 2016年に国史跡指定後初登城



館山城 東館跡
館山城 東館跡 数年前にはトレンチが幾つも有りました



伊達氏は鎌倉時代以来、梁川城(福島県伊達市)を約300年間本拠とし、年代に異説があるが南朝:元中2年/北朝:至徳2年(1385年)に長井氏を滅ぼして置賜郡(長井郡、長井荘とも別称)を領有した。16世紀に入り、伊達稙宗が天文元年(1532年)桑折西山城(福島県桑折町)へ居城を移し、更に伊達晴宗により天文17年(1548年)米沢城に移ったとされる。そして、伊達政宗が天正19年(1591年)、豊臣秀吉の命で岩出山城(宮城県大崎市)に居城を移した後、慶長5年(1601年)仙台城を築城して仙台藩が成立した。
この伊達氏の「米沢城」は、江戸時代に米沢藩上杉氏の居城となった現在の米沢城と同じものとされてきた。
伊達氏の諸記録によれば、天正12年(1584年)に伊達輝宗が館山城を隠居所としたが、居館の普請が終わるまでの間は重臣鮎貝宗重館に身を寄せて、翌年の完成を待って居住したという。また、天正15年(1587年)には政宗が改修を開始、しかし岩出山城への転封で廃城となった。館山は現在も、米沢から会津へ向かう街道の入り口である。


館山城 曲輪1、以前は曲輪の端しか歩けなかったような??
館山城 曲輪1、以前は曲輪の端しか歩けなかったような



館山城 主郭の桝形門跡、破城されたが石垣が発掘されている
館山城 主郭の桝形門跡、破城されたが石垣が発掘されている



館山城 曲輪2の物見台
館山城 曲輪3の物見台




館山城 曲輪2の土塁
館山城 曲輪2の土塁、巨大です(*ノωノ)



館山城 曲輪2と曲輪3間の堀切
館山城 曲輪2と曲輪3間の堀切



尾根先端の山城を中心として、山の北側と東側、南側の計3か所の居館が附属する。山城は東南の東館手前の大手口より、東西120m、最大幅65mの曲輪Ⅰを通って、東西60m、南北70mの方形に区画された曲輪Ⅱを本丸とされているが正確なことは不明である。東曲輪との境には枡形と土塁に縦掘があり、本丸西側には幅10-20m、高さ6mの土塁と深さ10mの堀切が、本丸北側には高さ3mの土塁がある。西側の堀切を渡った先に小規模な曲輪Ⅲが形成され、その南側の崖には物見台が置かれた。
館山城北館の調査では、整然と配置された中世の屋敷跡が発掘され、比較的長期間に渡って存在したことがわかった。出土品より、晴宗から政宗の年代にあたると推定されている。東館の調査では庭園跡と見られる遺構や石敷があり、高位の人物の居住跡と考えられ、中国産陶磁器などが出土した。2014年に主郭虎口付近より残存石垣が出土して伊達時代のものと注目を集めたが、この石垣に関しては、積み方から上杉時代に積まれたものと考えられるようになった。また染付などが出土したが、遺物の数は少なかった。いずれにしても伊達、上杉により使われた城跡で、遺構の面でも大堀切、枡形虎口跡などがよく残る貴重な城跡史跡である。2016年には国の史跡に指定された。




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