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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photo Movie で見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

古城巡り 写真館

PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
城エクスポ2019

長手館 山形県米沢市

伊達輝宗・政宗の家臣網代伯耆守で、1591年に豊臣秀吉の命で政宗が岩出山に移封となると、これに従ってこの地を離れた。
比高50m程の小山に築かれている、詰城は標高280mの小山で山頂の主郭を中心に周囲に帯曲輪を配しているのみで、これといってめぼしい遺構はない・・・・・・・というよりは、藪がひどくて、遺構が解りずらい( ゚Д゚)
説明板の設置してある場所から、山頂へ直登しました。


長手館 北側の天神橋から
長手館 北側の天神橋から




長手館 西側麓の説明板
長手館 西側麓の説明板



長手館 山頂部です!!
長手館 山頂部です((+_+))


長手の天満神社の由来は、長井時広が北野天満宮から分霊し、梓川のほとりに宮を建てたと伝えられています。鎌倉幕府を開いた 源頼朝は、長井庄(置賜地方)の地頭に大江広元を任 命、広元の次男時広が長井庄を受け継ぎ、長井氏を名乗りました。時広は置賜を支配するにあたり、大江家が信仰していた北野天満宮を分霊したのです。その後、長井氏に代わって伊達氏が置賜を支配しましたが、伊達家も天満宮を厚く保護し、伊達家の家臣網代伯守(あじろほうきのかみ長手城山に館を築く)が、戦乱で焼失した天満宮の再建にあたりました。また、伊達氏が岩手山に移った際、網代氏も政宗に従って移動しましたが、網代伯守は一族を長手に残して天満宮の宮守に命じました。


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上杉時代には、上杉家家臣で郡代を務めた島田正信が熱心に信仰、自分の持つ菅原道真像を長手の天満宮に合祀し、寛永12年(1635)に社殿を再建しました。歴代の領主が厚く信仰した、天満宮です。


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