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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます。

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小松城 三増峠古戦場

小松城 三増峠古戦場




小松城 神奈川県相模原市

小松城説明板


小松城は永井大膳大夫広秀の居城であったと伝えられる城です。片倉城の支城であったとされ、永井氏は片倉城主・長井氏の一族と考えられています。戦国時代には北条氏の支配下になり、津久井城の支城として、武田氏の侵攻に備えて整備されました。現在、館跡に建てられた宝泉寺の裏山が城址で、墓地から階段がのぼれるようになっています。遺構はほとんど残っておらず、わずかに堀切を確認することができるのみです。


三増峠古戦場  神奈川県愛甲郡愛川町三増1182-3

三増峠古戦場


駿河侵攻を目論む武田信玄は、東駿の後北条勢を引き上げさせる為、小田原城を攻める陽動作戦を行った。
1569年(永禄12)9月、武田信玄は碓氷峠を越えて西上野に入り南下。途中鉢形城、滝山城を攻め、更に厚木、平塚を経て10月1日小田原城に迫る。
武田勢は城下に放火し、3日程陣するが、堅固な小田原城を前に撤退を始める。
鎌倉を経て甲府への近道である三増峠を目指すが、北条氏康は氏照・氏邦兄弟に2万の兵を率い三増峠で待ち伏せさせ、氏康自身も武田勢を追撃する事にした。これに対し信玄は三増峠麓に陣し、小幡信定に津久井城を押さえさせ、山県昌景を韮尾根に布陣させた。
そこに後北条軍は攻めかけ、信玄も小荷駄を捨てさせ両軍激しく争うが、そこへ山県勢が挟撃し、後北条軍は総崩れに追い込まれ敗走した。氏康は萩野付近まで進行していたが、敗戦を知り小田原に引き揚げている。
この合戦で武田方武将浅利信種は流れ弾に当たり戦死した。



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