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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photo Movie で見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

古城巡り 写真館

PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
城エクスポ2019

雲雀城 金上館 陣が峯城

雲雀城 金上館 陣が峯城

雲雀城


金上館
築城年代は定かではないが南北朝時代に北田次郎広盛によって築かれたと云われる。
北田氏はその後北田城へ戻り、かわって藤倉館より藤倉盛弘が地頭として移封され、 建長4年(1252年)には狐戻城を築いて移ったとされる。また盛弘の子盛仁の時に金上氏を名乗ったとされる。
館は方形居館で周囲に土塁と濠が巡り、南に虎口を開いて土橋を架けていたとされる。現在でも住宅として使用されており周囲の土塁は南側は残っており、堀は水路となって残っているようである。

陣が峯城
陣が峯城(じんがみねじょう)は福島県河沼郡会津坂下町にあった平安時代末期の城館。遺跡は陣が峯城跡(じんがみねじょうあと)として国の史跡に指定されている。遺跡は近世以降も再利用されず、撹乱をまぬがれ中央平坦部は畑となっているが、一部敷地は公民館が建てられている。

陣が峯城のある一帯は平安時代末期は摂関家領の会津蜷河荘であったことが確認されており、永久2年(1114年)に藤原忠実が伝領している。そのような経緯より、城の築城者は蜷河荘の管理に携わっていた人物であると思われる。このようなことから、忠実の孫にあたる九条兼実の日記『玉葉』に登場する「藍津之城(あいづのしろ)」は陣が峯城である可能性がある。なお、伝承では越後の城助職(長茂)によって建てられたといわれている(城氏は慧日寺衆徒頭・乗丹坊とも強い結びつきがあるなどこの時期の会津に大きな勢力を保持していたと思われる)。しかし『恵隆寺縁起』によれば陣が峯城は城助職(長茂)と乗丹坊によって攻められたという。


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