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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photo Movie で見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

古城巡り 写真館

PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
城エクスポ2019

浜崎城 下遠田館 常世館 新井田館

浜崎城 下遠田館 常世館 新井田館

所在地 福島県喜多方市

浜先城
観応3年(1352年)三浦若狭守(蘆名直盛と推測)が河沼郡の合川、浜崎城、蜷河庄政所楯、牛沢城などを攻めており、これが浜崎城の史料における初見である。
宝徳3年(1451年)蘆名盛信が没すると嗣子盛詮が幼小であったことから家督相続争いが発生し、猪苗代氏が浜崎館を攻め落としている。
享徳2年(1453年)には松本筑前守によって会津を追われ、日光まで逃れていた松本右馬允が会津に攻め入り、浜田館を攻め落としてこれに籠もって戦ったが、右馬允は自刃して果てた。
慶長6年(1601年)伊達政宗から会津地方を没収した豊臣秀吉はその所領を蒲生氏郷に与えた。蒲生秀行の時代には家臣の蒲生主計介郷貞が浜崎城主となった。元和の一国一城令によって廃城となったが、「茶屋」と称してしばらくは存続していたという。
城の中央を、道路で分断されているが見事な遺構が残る

下遠田館
『会津古塁記』に記載される下遠田村柵と考えられています三橋刑部重治の居住したと伝わります
参考 塩川町史/3巻資料編

常世館
常世館の歴史について、詳しいことは分からない。鎌倉時代、青山城の加納五郎盛時の次男頼盛が常世村を拝領しているので、この人物が築いたのではないかと一応考えられる。
常世氏は葦名氏の重臣となったが、天正17年(1589)の葦名氏の滅亡と共に、常世氏も没落していったものと思われる。

新井田館
新編会津風土記によれば田辺氏は熊野甚増の支族であり、源平の争乱で義秀は義経指揮下のもと屋島の合戦で功をなし、当地に至ったという。義秀以降の子孫も新井田に住んでいたが天正14年(1586)五郎左衛門秀将の時代に故あって所領を失ったという。天正17年伊達政宗が田那辺五郎左衛門に当てた文書によれば五郎左衛門は地頭に年貢納入の立場にあり、在地領主から土豪的地位に転落したと想像できる。江戸時代の田那辺家は館に住み肝煎りを努めていた。(福島県中世城館跡より)





 

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