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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます。

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龍ヶ谷城 

龍ヶ谷城 麓から主郭迄





龍ヶ谷城 北西尾根から東郭







小田原北条氏の北武蔵での拠点である鉢形城の支城として千馬山城は築城されました。そして天神山城・高松城・日尾城などと共に甲斐武田氏の侵入に備え、また鉢形城の背後の固めとして機能していました。なかでも千馬山城は秩父郡北部を一望でき、秩父地区を掌握しようとする条氏にとって重要な城のひとつでした。
千馬山城は、鉢形城主・北条氏邦の家臣として秩父地方を掌握していた用土新左衛門の築城と伝えられており、同じく用土氏築城と言われている花園城・天神山城と城の構造がとても似ています。
城跡には19条もの空堀が残っており、傾斜面に縦に掘られた堀(竪堀)や竪堀と横堀を交錯させたものも見られます。また大規模な堀切や、一部には当時の石垣も残っており門跡や物見櫓跡と思われる平場なども確認する事が出来、秩父地域を代表する山城として昭和51年に埼玉県選定重要遺跡に選定されています。現在山頂には用土新左衛門を祀ると伝えられる石宮がありまます。
 秩父地方を掌握していた北条氏と甲斐武田氏はしばしば争いを繰り広げていましたが、秩父地域の鉱山源に着目した武田信玄による秩父谷侵攻の戦禍が及んできました。永禄12年(1569)頃、武田氏による秩父侵攻も激しさを増し、同年10月には信玄自らが秩父に在陣し千馬山城付近でも戦が繰り広げられたと伝えられています。この付近には『戦場』『向戦場』と言う地
名が残っていますが、これは武田勢の千馬山城攻めの際、戦場になったことの名残と言えるでしょう。
天正18年(1590)、時の関白豊臣秀吉は小田原攻めを行い、小田原城と同時に鉢形城にも攻め込み落城させました。
北条氏は千馬山城に三上外記を配し豊臣勢に抵抗しましたが、本城である鉢形城と共に落城し、以後廃城になりました。
(現地案内板より)



現在山頂部に在った、稲荷様の祠は現在は登城口側に新しくなり場所が変わっていました、また主郭に新しい龍ヶ谷城
の看板も設置てありました。
毎回のことですが三の郭から下の郭に関しては藪と竹藪が猛威を振っていましたが・・・多くの人の足跡が、以前より
増えているような( ゚Д゚)



城址入り口
城址入り口の看板


主郭を見上げる
ニノ郭から主郭を見上げる



_後方から二重竪堀
二重竪堀を後方から2本を1枚に



東の郭2の石積
東の郭2の石積



_城址遠景
城址遠景


龍ヶ谷城概念図@ヤマシロ





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