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古城巡り 写真館

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城エクスポ2019

深谷城~深谷上杉氏の居城2016改

深谷城





康正2年(1456)、上杉房憲(うえすぎふさのり)が古河公方(こがくぼう)の侵攻に備えて、深谷城を築いた。
その後、房憲(ふさのり)、憲清(のりきよ)、憲賢(のりかた)、憲盛(のりもり)、氏憲(うじのり)の5代が深谷城に住んだので、総称して「深谷上杉氏」と呼ばれる。
これに対して、それ以前に、深谷上杉氏の祖である上杉憲英(うえすぎのりふさ)、憲光(のりみつ)、憲信の3人は、国済寺にあった庁鼻和城(こばなわじょう)を館としていたことから、「庁鼻和上杉氏」と呼ばれる。
深谷城が築かれたのは、川越城、岩槻城、江戸城が築かれる前年である、武蔵国内で一番早かった。これは深谷が戦略的な要地であったためである。
当時、上杉氏は古河公方と対立していた。古河公方はたびたび深谷の陣営を襲おうとしたが、康正元年(1455)岡部原の合戦においてついに利根川を渡って岡部原に出陣し、上杉勢に戦いを挑んだが、両軍激戦のすえに勝敗は決しなかった。
上杉憲信の子、5代目房憲の時に、古河公方勢力との戦闘に備え、それまでの居城であった庁鼻和城から、より堅固な深谷城に移ったとされる。
以降、深谷城は、山内・扇谷両上杉氏の抗争と山内上杉氏の没落、北条氏康・氏政と上杉謙信・武田信玄の戦いなどの動乱期を経て北条氏の傘下となり、豊臣秀吉の小田原攻めが始まると前田利家と浅野長政の軍に降る。


深谷城址公園
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唐沢川、天然の堀とする
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富士浅間神社の堀跡
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深谷城の城内に造られたお寺。 七代上杉憲賢(のりかた)の奥さんの高泰(たかやす)姫が憲賢の菩提を弔うため再興開基した。
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