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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・PhotoMovieで見る 城館をどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます。

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白山城(鍋山城)~武田詰城

白山城(鍋山城)~武田詰城



鍋山砦、要害城 と呼ばれており形式は山城である。現在は山林になっており、曲輪、土塁、横堀、堀切、竪堀、説明板などの遺構が残っている。登城口から主郭までは約10分程で到着する。 本丸は約25m四方程の広さがあり、土塁が巡る。この南側にある二の丸との間には横堀が掘られ、西側には堀切が2本見られる。

甲斐源氏の祖源清光の子武田信義が生地逸見から分封して武田庄の庄官となり、武田八幡宮で元服して武田氏を称した。信義は武田に居館を構え、八幡宮の南の山に白山城を築いたという。

信義は甲斐源氏の一族を率いて治承・寿永の内乱において活躍し鎌倉幕府に参画するが、源頼朝の甲斐源氏粛清により遠ざけられ、文治2年(1186年)に死去し、城は武田館と共に荒廃したという。

その後、武田一族の甲斐一条氏、その支族武川衆の青木氏、青木氏から分派した山寺氏が相次いで守った。戦国期の天正10年(1582年)、織田信長のために武田氏が滅亡したが、本能寺の変で信長が死去すると武田遺領を巡り徳川氏と北条氏が争った(天正壬午の乱)。その際、武川衆は徳川氏に従い、北条への備えとして城を修築したと考えられる。江戸初期の寛文年間(1661年-1673年)廃城となった。

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