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古城巡り 写真館
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関城~南北朝、常陸激戦の舞台!!

2015/10/12
茨城県 0
関城






関城
市の南端にあり、東・南・西の三方が大宝沼に囲まれ、北部は台地続きで数重の土塁と東から西側の大宝沼に通じる堀割をめぐらせ、天然の要害地とした城郭です。
延元元年(1336)後醍醐天皇が神器を奉じて吉野に入ってから朝廷は二つに分かれ相争うこととなり、吉野朝を南朝、京都朝を北朝として南北朝時代の動乱が幕開けしました。
延元3年(1338)南朝方は奥羽地方の兵力を結集して再興を計ろうと、義良(よしなが)親王を奉じ、その補佐役の北畠親房らとともに伊勢を出航しましたが、途中暴風に遭い四散し、親王の船は伊勢に吹き戻され、親房の船は常陸東条浦に漂着しました。いくつかの城を経て小田城に入った親房のもとに、関宗祐父子も馳せて北朝軍と戦いました。この時、後醍醐天皇の崩御と義良親王の即位を知り、親房はここで神皇正統記などを執筆しました。その後、小田城は高師冬軍に攻められ城主小田治久が北朝軍に降ったために、親房は関城に入り、関宗祐父子は大宝城主下妻政泰とともに北朝軍と戦いました。
関城を巡る攻防戦の中で親房は神皇正統記を完成させましたが、四方に敵を受けた関宗祐は、ここで親房を重囲の中から吉野に脱出させました。
興国4年(1343)11月11日、関城は大宝城とともについに落城し、宗祐父子も城と運命を共にしたと伝えられます。
関城跡には、関宗祐父子の墓と伝えられる宝篋印塔(ほうきょういんとう)があり、墓の南側には「関城之碑」(明治3年建立)もあります。小山弘の文になるこの碑は、宗祐と親房の偉業を讃えています。また、この墓前域においては、地域の人たちによって落城の日を命日として墓前祭が行われています。ほかに坑道跡や土塁、堀も残され往時を偲ぶことができます。




完成 関城@ヤマシロ
㊟イメ-ジ図になります、現地説明板を参考にしました。





[茨城県筑西市関舘267]

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樋口山城守与六
Admin: 樋口山城守与六
関東を中心に、全国の城館をPhoto・PhotoMovieにて紹介します。近年(又は現在)の城館を紹介して行きます、以前は藪の中で在ったが現在は綺麗に整備された遺構を又は破壊、消滅された遺構も現在の在るままを紹介します,目に見える写真で城館を記録していきます又史跡、神社仏閣、自然を気ままに撮ります・・・・・・・・・・・・!!デジブックは2020年3月31日に閉鎖になりました、沢山の御視聴ありがとう御座いました。
今年初キャンプは・・・暴風雨・・・良く月は雪・・・雨・・・そして今日はどうかな!!
茨城県