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石田三成生存伝説 群馬県沼田市 正行院

三成は関ケ原の合戦で徳川家康に敗れ、現在の京都市内で斬首された。一方、1959年出版の旧薄根村(現沼田市)の村誌によると、三成は敗戦後、飛騨高山を経て現在の長野県に入り、妻同士が姉妹関係ともされる真田昌幸との縁で昌幸の父、幸隆が再建した正行院に落ち着き、寺の第22世住職になったとされる。

正行院で三成のものと伝わる位牌と墓は有る。位牌の裏には三成を指すとされる「石田治部少輔公」の文字があり、22世の墓と伝わる墓石にも小さく「石田」と刻まれている・・・・・・・真相はいかに・・・・・・・・・。

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