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古城巡り 写真館
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山内一豊 郡上八幡城

2020/07/28
武将伝 0
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尾張上4郡守護代織田伊勢守の家老である尾張黒田城主山内盛豊の子。通称は猪右衛門(伊右衛門とも書く)。織田伊勢守家が信長によって滅ぼされたあと,しばらく浪々ののち信長に仕えることになり,元亀1(1570)年の越前金ケ崎城攻め,姉川の戦に従軍する。妻のまつ(千代とも。のち見性院)のへそくりによって名馬を買ったとするエピソードはそのころのことか。ただし,この逸話は良質の史料にはみえない。豊臣秀吉の北近江領有のころから秀吉に仕えるようになり,天正1(1573)年には近江長浜の唐国で400石を与えられる。同5年,秀吉が播磨にも所領を与えられると同地で2000石余となり,同10年には秀吉の馬廻衆として黄母衣衆となった。同13年6月,若狭高浜城1万9800石,次いで同年閏8月,近江長浜城2万石となり,ほかに1万石の豊臣家直轄領の代官となり,また従五位下・対馬守に叙任された。同18年の小田原攻めののち,遠江掛川城主5万石となり,新領地の検地および新しい掛川城と城下町を造った。慶長5(1600)年の関ケ原の戦には東軍に属し,徳川家康の会津攻めに従い,下野小山の軍評定の場で「掛川城と城内の兵糧を家康殿に献上する」と発言して家康をよろこばせ,実際,城を差しだしている。また妻からの大坂方の人質政策などを記した密書を提供し,戦いののち,土佐一国20万石に栄転し高知城主となり,土佐藩祖となった。






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樋口山城守与六
Admin: 樋口山城守与六
関東を中心に、全国の城館をPhoto・PhotoMovieにて紹介します。近年(又は現在)の城館を紹介して行きます、以前は藪の中で在ったが現在は綺麗に整備された遺構を又は破壊、消滅された遺構も現在の在るままを紹介します,目に見える写真で城館を記録していきます又史跡、神社仏閣、自然を気ままに撮ります・・・・・・・・・・・・城巡り・カメラからのキャンプ覚醒!!
今年初キャンは・・・暴風雨(@_@)・・・翌月は雪(>_<)・・・雨((+_+))・・・そして今日梅雨明けの快晴(*ノωノ)!!
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