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古城巡り 写真館
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小峰城 2020.6 福島県白河市

2020/06/08
福島県 0
小峰城 Google
小峰城 Google






小峰ヶ岡と呼ばれる標高370mの東西に細長い(長さ約450m、幅約80m)独立丘陵を利用して築城した梯郭式の平山城(ひらやまじろ)である。本丸は、この丘陵の西端に位置し周辺の低地との高低差は25~30mほどある。
史跡として指定されているのは本丸および二の丸の一部約162,859.4平方メートルであるが、当時の城郭の範囲は約540,000平方メートルの規模と推定されている。
小峰城は、南北朝期の興国・正平年間(1340~1369)に、結城宗広の嫡子親朝(小峰氏を創設)がこの丘陵に城を築いたのが始まりで、その後永正年間(1504~1520)頃には白河結城氏の本城となったと推定される。
天正年間には常陸佐竹氏の影響下におかれ、その後天正18年(1590)豊臣秀吉により所領を没収されて、結城氏による白河地方の支配は終った。
その後、蒲生氏、上杉氏など会津藩の領地となり、城代が当城におかれた。蒲生秀行の時代には城下の整備もなされたとされている。現在にその名残をとどめる近世城郭は、寛永4年(1627)に10万石余で棚倉より入封した丹羽長重が、幕命を受け寛永6年(1629)より大改修を行い、同9年完成させたものである。
丹羽氏以後、松平(榊原)、本多、松平(奥平)、松平(結城)、松平(久松)、阿部氏と7家21代にわたる居城となっていたが、慶応2年(1866)阿部氏の棚倉移封後は、二本松藩丹羽氏の預かるところとなり、慶応4年(1868)の戊辰戦争白河口の戦いにより落城焼失した。
城郭の縄張りをみると、丘陵の頂部に本丸を設け、本丸より東側、南側にむけて二の丸、三の丸、外曲輪を設け、曲輪の周囲には石垣・土塁そして大小の堀を巡らし、南に大手門、北に尾廻門(搦手門)、東に田町門・横町門、西に会津門・道場門を設置して、町屋と区別した。本丸北側は、土手を築き阿武隈川の流れを北側にかえ、その旧河道の一部は外掘としての機能をもたせるとともに、内堀、石垣を配して二重・三重の構えを備えた。全体的にはやや不整な五角形をした城郭である。







城址碑
南から見た小峰城と城址碑




清水門跡
清水門跡




修復された石垣
修復された石垣(震災時は崩壊していた)




内堀
清水門前の内堀




復元された城門と三階櫓
復元された前御門と三重櫓






復元された三階櫓
復元された三重櫓





内堀2
内堀




小峰城本丸
小峰城本丸





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樋口山城守与六
Admin: 樋口山城守与六
関東を中心に、全国の城館をPhoto・PhotoMovieにて紹介します。近年(又は現在)の城館を紹介して行きます、以前は藪の中で在ったが現在は綺麗に整備された遺構を又は破壊、消滅された遺構も現在の在るままを紹介します,目に見える写真で城館を記録していきます又史跡、神社仏閣、自然を気ままに撮ります・・・・・・・・・・・・!!デジブックは2020年3月31日に閉鎖になりました、沢山の御視聴ありがとう御座いました。
今年初キャンプは・・・暴風雨・・・良く月は雪・・・雨・・・そして今日はどうかな!!
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