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古城巡り 写真館
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明智城 岐阜県恵那市

2020/02/26
岐阜県 0
明智城絵図
明智城絵図 説明板より




㊟表題の可児市は恵那市の間違えです


三の丸




恵那郡明知は、北は岩村・恵那、東は信濃国伊那郡飯田、西は土岐郡、南は三河国賀茂郡足助・額田郡岡崎に街道が通じる、交通の要衝の地である。遠山氏祖の遠山景朝の父親である、源頼朝の重臣の加藤景廉が明知を含む遠山荘の地頭に任ぜられ、それ以降、明知遠山氏累代の土地であった。
戦国時代の後期には、岩村・阿照・明知・串原・苗木・安木と並んで遠山七頭と呼ばれていた。そのうち「岩村遠山家」と「苗木遠山家」そしてこの「明知遠山家」を「遠山三家」といい、美濃国東濃地方に威を張っていた。
しかし、やがて美濃国東濃地方は争奪戦の地となり、武田信玄の家臣秋山虎繁(信友)、織田信長の嫡男の織田信忠、豊臣秀吉の武将の森長可が制圧している。秀吉の死後に長可の弟の森忠政が川中島に移封となり、替わって田丸直昌が入ったが、関ヶ原の戦いで直昌は大坂城城番となり西軍に取り込まれたため、遠山利景が嫡男の遠山方景と共に奪還した。
なお、明智光秀の生誕の城ともいわれているが、足利尊氏の御家人の土岐氏の末裔とされ、遠山氏の縁戚である可能性は、明治時代の子孫の記録や、両氏の重臣である三宅氏の存在などから考慮はされるものの、生誕地そのものである可能性は低い(江戸時代の初期に著作された書物類から、可児市にある明智長山城である可能性が高いとされる




出丸





畝堀





明智城本丸
明智城本丸




龍護寺明智光秀御霊廟
龍護寺明智光秀御霊廟
明知遠山家の菩提寺である龍護寺に、明智光秀公の供養塔があります。光秀公に関する碑は、「その悲痛な思いで」ことごとく割れるといった通説どおり、斜めに大きくひび割れが入っています。毎年5月3日には、光秀まつりとあわせて、明智光秀公供養(仏事)が行われています。





[岐阜県恵那市明智町1553−81]2012.5登城

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樋口山城守与六
Admin: 樋口山城守与六
関東を中心に、全国の城館をPhoto・PhotoMovieにて紹介します。近年(又は現在)の城館を紹介して行きます、以前は藪の中で在ったが現在は綺麗に整備された遺構を又は破壊、消滅された遺構も現在の在るままを紹介します,目に見える写真で城館を記録していきます・・・・・・・・・・・・!!デジブックは2020年3月31日に閉鎖になりました、沢山の御視聴ありがとう御座いました。
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