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古城巡り 写真館
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北条早雲  神奈川県 小田原駅

2020/02/22
武将伝 0
北条早雲



小田原北条氏(後北条氏)の初代。早雲は庵号で,北条を称したことはなく,一般にいうこの呼称は俗称。正しくは伊勢を氏,新九郎を通称とし,入道ののちは自ら早雲庵宗瑞と記している。実名は長氏とされ,氏茂などの名も伝えるが確証はない。出自については諸説があり伊勢の関氏一族出身説京都の伊勢氏出身説(3)備中の伊勢氏出身説の3説がその主たるもの。近年,実名を盛時としての折衷説も提唱されているが確証はない。従って父母の確定までには至っていない。初見としては,文明8(1476)年,駿河守護今川義忠の家督相続を巡ってその子氏親を支持し,相手方の小鹿範満を支持する太田道灌と共に事態の収拾に当たったというのが確かなところである。道灌の没した年の翌長享1(1487)年,早雲は範満を討って氏親を名実ともに今川家の家督とし,この功により駿河の富士下方12郷を与えられ興国寺城主となった。 延徳3(1491)年,伊豆に攻め入ってこれを平定し,韮山城に拠る。大森藤頼の小田原城を攻略し,関東進出の第一歩を印したのは明応4(1495)年9月のことであった。山内上杉・扇谷上杉両氏の抗争を巧みに利用して領域を拡大し,永正3(1506)年にはすでに小田原付近で検地を実施。新基準による貫高の採用が確認され,新しい領国支配体制の基礎が固められている。同7年ごろより相模の征服を開始。同9年8月,三浦義同の岡崎城を陥れ住吉城に敗走させ,初めて鎌倉の土を踏む。その同じ年,玉縄城を築き,翌10年には義同の反撃を退けてさらに新井城まで追い詰め,同13年7月,ついにその子義意共々討ち滅ぼして相模を征服した。同15年に家督を子氏綱に譲ったとみられる。翌年韮山城で死去。家訓に「早雲寺殿廿一箇条」がある。平生『太平記』を愛読し,倹約家であったことでも有名。道灌の器量を見抜いて一目置いており,戦国大名北条氏発展の基礎を築いた。




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樋口山城守与六
Admin: 樋口山城守与六
関東を中心に、全国の城館をPhoto・PhotoMovieにて紹介します。近年(又は現在)の城館を紹介して行きます、以前は藪の中で在ったが現在は綺麗に整備された遺構を又は破壊、消滅された遺構も現在の在るままを紹介します,目に見える写真で城館を記録していきます又史跡、神社仏閣、自然を気ままに撮ります・・・・・・・・・・・・城巡り・カメラからのキャンプ覚醒!!
今年初キャンは・・・暴風雨(@_@)・・・翌月は雪(>_<)・・・雨((+_+))・・・そして今日梅雨明けの快晴(*ノωノ)!!
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