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古城巡り 写真館
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白河史跡巡り~震災直後の福島

2015/09/04
福島県 0
白河史跡巡り



白河関跡
奥州三古関のひとつに数えられる白河関は、奈良時代から平安時代頃に機能していた国境の関で、蝦夷(えみし)の南下や人、物資の往来を取り締まる機能を果たしていたと考えられています。

その後律令制の衰退とともにその機能を失いましたが、『歌枕』(和歌の名所)として文学の世界で都人の憧れの地となり、能因や西行、松尾芭蕉など時代を代表する歌人・俳人たちが多くの歌を残しています。


白川城
文治5年(1189)源頼朝の奥州征伐に参加し,功名をたてた結城朝光は、その恩賞として白河庄の地頭職(じとうしき)を与えられた。その後、朝光の孫の祐広(すけひろ)が正応2年(1289)頃、下総結城より移住して、この白川城を本拠としたと伝えられている。
現在、白川城は御本城山と呼ばれる主郭、その北側藤沢山には二之郭、主郭の東側には鐘撞堂とされる平場がある。これらの郭の周囲には、幾段かの帯曲輪が構築されている。また、郭と郭の間には土塁や空堀などの遺構が確認されている

小峰城(白河城)
奥州関門の名城と謳われた小峰城は、結城親朝が14世紀中頃に小峰ケ岡に城を構えたのがはじまりとされ、江戸時代の初代藩主・丹羽長重公が4年の歳月をかけて完成(1632年)させた梯郭式の平山城です。以後、松平定信公をはじめ7家21代の城主が居城しましたが、1868年に戊辰戦争で焼失した。  平成3年に三重櫓、平成6年に前御門が史実に基づき忠実に復元されました。復元に使用された杉材は戊辰の役の激戦地・稲荷山のもので、床板や柱には当時の弾痕がそのまま残っています。

関川館
もと関銭院と称したと伝えられ、「関銭(通行料)」を取っていたのが由来と言われます。

はじめ天台宗でしたが白河結城氏6代直朝が中興開山し、関川寺と号しました。現在残る地名「関川窪」はかつて関川寺があった地と言われ、現在の地に移転したのは天正9年(1581)のことです。

結城宗広・直朝の五輪塔や結城廟が残されています

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樋口山城守与六
Admin: 樋口山城守与六
関東を中心に、全国の城館をPhoto・PhotoMovieにて紹介します。近年(又は現在)の城館を紹介して行きます、以前は藪の中で在ったが現在は綺麗に整備された遺構を又は破壊、消滅された遺構も現在の在るままを紹介します,目に見える写真で城館を記録していきます・・・・・・・・・・・・!!デジブックは2020年3月31日に閉鎖になりました、沢山の御視聴ありがとう御座いました。
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