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古城巡り 写真館
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真田幸村 大阪府 

2020/02/22
武将伝 0
真田幸村 真田丸



本名は信繁(のぶしげ)、幼名は弁丸。1567年、武田氏に仕える信濃国(現在の長野県)上田城主真田昌幸の次男として生まれる。生年については異説があり、幸村の名の由来についても諸説あり定かでない。
82年、織田信長・徳川家康の連合軍との間に起こった「天目山の戦」で武田勢が敗れ、昌幸の軍も上田城に引き返す途中、4万人余りの北条軍に遭遇する。信繁は、約300人の真田軍を6隊に分け、北条方の武将松田氏の旗印永楽通宝を描いた旗を兵に持たせ、闇討ちをかける戦術を父に提案した。松田氏の謀反と思いこんで北条方が混乱したすきに、無事、上田城に帰り着くことに成功。この功績により、信繁は昌幸から六文銭の旗印を持つことを許された。
天目山の戦後、昌幸・信繁父子は徳川家康に臣属するが、豊臣秀吉に対する布陣に関わり北条氏との和睦の件で家康と対立し、豊臣秀吉に仕えることとなる。信繁は豊臣方の上杉景勝家に人質として差し出され、その後は豊臣秀吉の人質として暮らした。
1600年関ヶ原の戦いでは、信繁は昌幸と共に石田三成らが率いる西軍につき、徳川家康の東軍と争ったが、西軍は敗退。徳川幕府は上田城を破壊し、信繁は高野山(和歌山県)に幽閉された。その後、隠棲のための庵を九度山(和歌山県)に移した。
14年、戦国時代最後の大合戦となる豊臣家と徳川家による最終決着戦「大坂の陣」が起こり、信繁は冬の陣の篭城戦で大坂城の南方に真田丸と呼ばれる砦を作り、寡兵の豊臣方として徳川家康の本陣まで攻め込む奮闘を見せたが、15年夏の陣にて戦死。大坂城は落城し、豊臣家は滅亡した。徳川家康は、敵将ながら信繁の戦いぶりに感服し、江戸幕府内で信繁を称えることを許したと伝えられる。





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樋口山城守与六
Admin: 樋口山城守与六
関東を中心に、全国の城館をPhoto・PhotoMovieにて紹介します。近年(又は現在)の城館を紹介して行きます、以前は藪の中で在ったが現在は綺麗に整備された遺構を又は破壊、消滅された遺構も現在の在るままを紹介します,目に見える写真で城館を記録していきます又史跡、神社仏閣、自然を気ままに撮ります・・・・・・・・・・・・!!デジブックは2020年3月31日に閉鎖になりました、沢山の御視聴ありがとう御座いました。
今年初キャンプは・・・暴風雨・・・良く月は雪・・・雨・・・そして今日はどうかな!!
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