FC2ブログ
古城巡り 写真館
古城巡り写真館へようこそ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photo&PhotoMovieで見る 城館をどうぞ!!

加藤清正 熊本県 熊本城

2020/02/22
武将伝 0
加藤清正 熊本城



肥後国(熊本県)の大名。従五位下主計頭,のち従四位下肥後守。尾張国愛智郡中村(名古屋市)の生まれ。清忠の次男。幼名夜叉丸。元服後に虎之助清正。豊臣秀吉と同郷の出身。その縁により幼少より秀吉の台所方に仕える。のち秀吉の直轄領の代官を務め,豊臣経済の状態や当時の経済構造,特に貿易の実態を知る。勇猛果敢な武将といわれる半面,「しわき人(けち,勘定にたけた人)」と呼ばれるほど緻密で合理的な性格は,この代官の職を通じて形成されたと思われる。清正の武名は天正11(1583)年,賤ケ岳の戦で七本槍のひとりとして功名をあげたのにはじまる。同16年,肥後半国(19万5000石)領主となり,秀吉の「唐入り」(朝鮮侵略)の先兵的役割を果たし漢陽(ソウル)を攻略,李朝の2王子を捕縛した。後世に朝鮮人民から「鬼将軍(清正)が来るぞといえば(泣く子も)すぐに泣きやんだ」といわれたほど,その武力行為は恐れられ,諸文化財の破壊も徹底したものであった。講和問題では秀吉の主張する講和条件を循守したため石田三成らと対立を深め,一時蟄居を命ぜられた。まもなく同処分は徳川家康の後援で解除されるが,これにより清正は関ケ原の戦で東軍(徳川方)に参加し,やがて肥後一国(54万石)大名へと成長していく。 清正は日本3大名城のひとつである熊本城の築城に着手し城下町の形成に努めるとともに,独特の手法で肥後の4大河川を改修,灌漑用水の便を図り約8000町歩の新田を開発した。そのため「土木の神様」と称され,後世「加藤神社」に祭られた。日蓮宗の熱烈な信者で寺社の復興に力を尽くし,キリスト教には厳しい弾圧を加えている。徳川幕府に服従する一方で豊臣家の存続を念願,家康と豊臣秀頼の二条城会見にも従い,豊臣家の危機を救った。その帰途,船中で病にかかり,まもなく病没。熊本市本妙寺に葬られる。





人気ブログランキング
関連記事
スポンサーサイト



Comments 0

There are no comments yet.
樋口山城守与六
Admin: 樋口山城守与六
関東を中心に、全国の城館をPhoto・PhotoMovieにて紹介します。近年(又は現在)の城館を紹介して行きます、以前は藪の中で在ったが現在は綺麗に整備された遺構を又は破壊、消滅された遺構も現在の在るままを紹介します,目に見える写真で城館を記録していきます又史跡、神社仏閣、自然を気ままに撮ります・・・・・・・・・・・・城巡り・カメラからのキャンプ覚醒!!
今年初キャンは・・・暴風雨(@_@)・・・翌月は雪(>_<)・・・雨((+_+))・・・そして今日梅雨明けの快晴(*ノωノ)!!
武将伝