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古城巡り 写真館
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藤堂高虎

2020/02/21
武将伝 0
藤堂高虎 今治城



藤堂高虎 津城




伊勢国(三重県)津藩初代藩主。近江国犬上郡藤堂村(滋賀県犬上郡甲良町)に生まれる。15歳のとき,浅井長政に仕え,姉川の戦などで武功をあげる。のち織田信澄,羽柴秀長などに仕え,賤ケ岳の戦,紀伊雑賀攻め,島津攻めなどに軍功があり,加増を重ねられ2万石を領した。天正15(1587)年,佐渡守に叙任。秀長の死後,その子秀俊に仕え,文禄の役では代理として朝鮮に出陣した。秀俊の没後,高野山にのぼり剃髪したが,豊臣秀吉の懇望によりその直臣となり,文禄4(1595)年,伊予国に7万石を与えられ,宇和島城主となる。慶長の役でも,水軍を率いて朝鮮に渡海し,巨済島の戦いで朝鮮水軍を全滅させ,1万石を加増された。 徳川家康の 聚楽第内邸地の普請を奉行した縁で,秀吉死後は家康に接近,慶長4年には弟正高を江戸に人質に出した。翌年,石田三成の動静を家康に報告し,関ケ原の戦では,小早川秀秋を監視し,寝返った秀秋と共に大谷吉継を討った。戦後,12万石を加増され伊予今治城主。城普請の名手として知られ,慶長期に近江膳所城,伏見城,丹波篠山城,丹波亀山城などの普請を任せられた。11年には率先して妻子を江戸にあげ,縄張りを担当した江戸城が落成したため,2万石加増され,和泉守に改める。13年には伊賀1国と伊勢8郡に移され,伊勢国津城に住した。大坂夏の陣では,真田幸村の攻撃を受けて家康の本陣が崩れたとき,馬廻りの兵を率いて側面から救援するなど大きな功績をあげた。家康は臨終の床で,「国家の大事のときには,一の先手は高虎,二の先手は井伊直孝」と申し置いたという。以後,加増を重ねられて,元和3(1617)年,32万3950石。秀忠の娘和子(東福門院)の入内にも奔走,大坂城の縄張りも担当した。このころの高虎は,幕閣と親しく交際し,諸大名の注目の的であったが,晩年は老耄がひどく醜態を演じた。妻は長連久の娘。




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樋口山城守与六
Admin: 樋口山城守与六
関東を中心に、全国の城館をPhoto・PhotoMovieにて紹介します。近年(又は現在)の城館を紹介して行きます、以前は藪の中で在ったが現在は綺麗に整備された遺構を又は破壊、消滅された遺構も現在の在るままを紹介します,目に見える写真で城館を記録していきます又史跡、神社仏閣、自然を気ままに撮ります・・・・・・・・・・・・城巡り・カメラからのキャンプ覚醒!!
今年初キャンは・・・暴風雨(@_@)・・・翌月は雪(>_<)・・・雨((+_+))・・・そして今日梅雨明けの快晴(*ノωノ)!!
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