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古城巡り 写真館
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上杉景勝&直江兼続

2020/02/20
武将伝 0
上杉景勝と直家兼続
上杉景勝と直江兼続主従像


上杉景勝
安土桃山時代から江戸初期にかけての大名。はじめ越後,のちに会津,米沢へ移封。実父は長尾政景,母は長尾為景の娘(上杉謙信の姉)。上田(新潟県南魚沼郡六日町)に生まれる。のち叔父の上杉謙信の養子となる。初名顕景。天正6(1578)年謙信の死後,もうひとりの養子上杉景虎と家督を争い(御館の乱),翌年景虎を滅ぼして謙信の跡を継ぎ,春日山に居城を構えた。14年大坂城で豊臣秀吉に臣従の礼をとり,翌年越後を統一,さらに佐渡も領有した。豊臣政権の大名として,18年の小田原攻め,翌年の九戸一揆の鎮圧,文禄1(1592)年の朝鮮出兵にも出陣した。慶長3(1598)年,会津へ転封を命じられて120万石の大大名となり,秀吉の死後,五大老のひとりとして豊臣政権で重きをなした。5年の関ケ原の戦では石田三成と結び,会津に挙兵したが,石田方の敗北を知り徳川家康に降伏した。出羽米沢30万石に減転封を命じられ,米沢城に移った。米沢で死去。織田・豊臣・徳川の3政権を経過して上杉家を戦国大名から近世大名へ脱皮させた人物であったが,戦国の英雄であった養父の上杉謙信の跡を継ぎ家臣団を統率するのは容易でなかったといわれる




直江兼続
安土桃山・江戸前期の武将。越後国与板城主樋口惣右衛門兼豊の子。幼名は与六,名は重光ともいった。はじめ上杉謙信に仕え,その死後,子の景勝に仕え,天正10(1582)年,名門直江の名跡を継いで直江兼続となり,景勝の側近として「執政」などと呼ばれた。早くから豊臣秀吉に接近し,秀吉と景勝の間をとりもち,同16年,景勝が従三位に進んだとき,兼続も従五位下・山城守に叙任されている。秀吉の側近たちとも交流があり,慶長3(1598)年の景勝の越後から会津への転封に際しては,石田三成と一緒になってこれを推進した。主君景勝が会津120万石のとき,兼続は米沢城主として30万石を知行した。関ケ原の戦のきっかけとなったとされる家康弾劾の兼続の手紙が「直江状」として有名であるが,これは偽書である。関ケ原の戦ののち,主君景勝が米沢城30万石に減封されている。古典を収集し,米沢に建立した禅林寺に禅林文庫を設け,また出版も行った。







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樋口山城守与六
Admin: 樋口山城守与六
関東を中心に、全国の城館をPhoto・PhotoMovieにて紹介します。近年(又は現在)の城館を紹介して行きます、以前は藪の中で在ったが現在は綺麗に整備された遺構を又は破壊、消滅された遺構も現在の在るままを紹介します,目に見える写真で城館を記録していきます又史跡、神社仏閣、自然を気ままに撮ります・・・・・・・・・・・・城巡り・カメラからのキャンプ覚醒!!
今年初キャンは・・・暴風雨(@_@)・・・翌月は雪(>_<)・・・雨((+_+))・・・そして今日梅雨明けの快晴(*ノωノ)!!
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