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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photo Movie で見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

古城巡り 写真館

PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
城エクスポ2019

宮城県城館~涌谷町・大崎市

宮城県城館~涌谷町・大崎市

涌谷城 涌谷町

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天正19年、亘理城から亘理重宗が入城し、以降涌谷伊達氏の居城となりました。もとは南北朝時代、奥州探題として下向してきた大崎氏の配下、涌谷氏の居城でしたが、大崎氏が豊臣秀吉の小田原参陣を拒否したため滅ぼされ、一時は豊臣家の家臣、木村氏の居城となりましたが、大崎・葛西氏による一揆が発生し、その鎮圧後は伊達領となり、亘理氏が治めることになりました。

 涌谷城が近世城郭として整ったのは二代城主重守の時代で、三代定宗の時代になって完成しました。この頃、亘理氏は伊達姓を名乗るのを許され、明治維新まで亘理伊達氏が続きました。涌谷城も明治維新まで存続していましたが、新政府によって涌谷県庁が建てられ、石垣と隅櫓を残し取壊されてしまいました。

 現在、涌谷城跡は城山公園と呼ばれ、桜の木々が植えられ桜の名所として知られています。また隅櫓(太鼓堂)の隣には天守閣を模した涌谷町立史料館(実際の涌谷城は平山城)が建てられており、涌谷伊達氏の寛文資料や長根貝塚・追戸横穴古墳群からの出土品などが展示されています。

八幡館 涌谷町

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陵の北端部に位置し、旧迫川流域右岸を見下ろす場所にある
小里小学校裏手から遺構が続き、南南東の方向に広がりを見せ、屋化エア跡の西側から北側下方にかけて、空堀や土塁がめぐらされ、腰曲輪もあり、.中世の遺構をよく残している。

上野館 大崎市

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上野館は案内板によると「近世仙台藩の上級武士茂庭氏の屋敷跡である。寛永8(1631)年茂庭周防良元の下屋敷として築かれ、慶安4(1651)年73才で隠居し、千石城三ノ丸から移った。その後、子周防定元は明暦3(1657)年作事の完成を待って正式に居館として移住し、以後幕末までの約200年間この地が松山統治の中心となった。 松山町教育委員会」とあります

松山城 大崎市

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千石城千石城は遠藤盛遠が築城したと伝えられている。遠藤氏は応永8年(1401)に関東公方だった足利満兼から志田、玉造、加美の3郡の奉行に任ぜられ、以後200年近く支配しています。戦国時代になると松山は大崎氏、葛西氏、伊達氏の領内と接していた為、戦略的にも重要視され、遠藤氏は伊達氏に組するようになります



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