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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photo Movie で見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

古城巡り 写真館

PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
城エクスポ2019

岩松寺 埼玉県羽生市

岩松寺 参道



曹洞宗の寺院、上州太田の金龍寺の末で瑞雲山と号する。岩松寺四世泉光和尚の『中岩瀬天神宮縁起』によると、天文13年(1544)の春、羽生城主木戸伊豆守忠朝によって建立されたとある。
  また、境内に存する『当山開創縁起』碑には、開基は小田原城主北条氏康の軍将である柴山縫殿介で、法名を岩松院春桂居士といい、元和3年(1617)2月13日に没した。開山は、金山金龍寺第6世住職の叡州玄珠であるとあるとし、次のような文が追記されている。
西岩瀬に禅僧がいた。僧は晩年の出家であったが上野国金龍寺の住職にまで上り詰めていた。その僧と親しかった縫殿之介は僧を招き岩瀬に寺院を寄付して、岩松寺と号した。縫殿之介に一人の子供がいた。徳川入封後、幼年の折、岩松寺に隠し、成人後、柴山新次郎重吉と名乗った。その後、羽生代官大河内金兵衛に許されたので、岩松寺の法具を整えるとともに、その僧・信嶺を招き、父の法要を行った。新次郎は、信嶺を開山にと願ったが、固辞されたので、金龍寺6世玄州禅師を勧請し開山とするとともに、父縫殿之介に岩松院を贈号して開基とした。信嶺は岩松寺の2世住職となったと記されている。





岩松寺 縁起






岩松寺 本堂
本堂は、天保3年(1832)8月に建立された。茅葺で約85坪あった。しかし老朽化したことから、明治36年8月には前本堂の古材を利用して改築し、屋根も茅葺から瓦葺とされた。




岩松寺 柴山家墓所
岩松寺 柴山家墓所





[埼玉県羽生市上岩瀬1753]

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2 Comments

桑崎堀の内城兵の末裔 says..."桑崎堀の内名無しの正体"
城郭でも無いのに載せて貰って良いのですか?ありがとうございます。
金龍寺九世大和尚となって下岩瀬天宗寺開山した信嶺、岩松寺開山時、修行が済んでなかった事と思います。
天宗寺も何故か羽生領ではなく忍領下新田の寺という事でした、謎。
上杉政虎とどんな係わり方をしていたのか興味深いですね、仮名で活動していたのか?
2019.09.23 16:06 | URL | #- [edit]
樋口山城守与六 says...""
歴史的な物には、興味がありますから、大丈夫です。
奥が深いですからね。
2019.09.24 17:49 | URL | #nGdA3O4A [edit]

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