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古城巡り 写真館
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白河関/関ノ森城 福島県白河市

2019/03/18
福島県 0
白河関/関ノ森城




完成 関ノ森城@ヤマシロ㊟イメ-ジ図になります(-ω-)/





設置時期は明らかでない。『類聚三代格』承和2年(835年)太政官符では、白河・菊多(勿来)の関を設置して以来400余年と見え、承和2年当時には5世紀前半の設置と認識されていた。
六国史における白河の初出は718年(養老2年)5月2日 (旧暦)に陸奥国から「白河」など5郡を分割して石背国を設置するという記事で、その後728年(神亀5年)4月11日 (旧暦)には白河軍団の新設を許可、そして神護景雲3年(769年)3月13日には陸奥国大国造道嶋宿祢嶋足の申請によって何らかの功績を果たしたらしい者への賜姓付与が行われ、白河郡では丈部某と大伴部某がそれぞれ阿部陸奥臣および阿部会津臣を授かっている。また宝亀11年(780年)12月22日には陸奥鎮守府副将軍の百済王俊哲が賊に囲まれ危機に瀕したが「白河」の神など11神に祈ったところこれを突破できたとして弊社に加えることを許可している。承和2年(835年)12月3日の太政官符(『類聚三代格』)では、俘囚の出入りや不正商品の通過の検問を長門国関(赤間関)と同様に取り締まることが許されている。
こうしたことから、ヤマトの軍事的要衝としての白河関の機能は平安中期には解消したものと考えられている。源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼす奥州合戦の際に、頼朝が白河に達した時に、梶原景季に歌を詠むよう命じると、「秋風に草木の露をば払わせて、君が越ゆれば関守も無し」と詠んだ。 関の廃止の後、その遺構は長く失われて、その具体的な位置も分からなくなっていた。1800年(寛政12年)、白河藩主松平定信は文献による考証を行い、その結果、白河神社の建つ場所をもって、白河の関跡であると論じた。
1960年代の発掘調査の結果、土塁や空堀を設け、それに柵木(さくぼく)をめぐらせた古代の防禦施設を検出、1966年(昭和41年)9月12日に「白河関跡」(しらかわのせきあと)として国の史跡に指定された。
なお、白河関にちなみ東北地方および北海道をまとめて「白河以北」と称する場合がある。宮城県の地方紙「河北新報」の名は、これに由来する。

この南側の遺構が全て白河関の遺構とは思えない・・・「関ヶ原の戦い」の際に上杉家の改修がなされて当然と思える!!





白河関跡





土橋から虎口へ土橋から虎口へ





北側の空堀北側の空堀





東側の張り出し東側の張り出し





張り出しから見た郭内張り出しから見た郭





[福島県白河市旗宿関ノ森84]

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樋口山城守与六
Admin: 樋口山城守与六
関東を中心に、全国の城館をPhoto・PhotoMovieにて紹介します。近年(又は現在)の城館を紹介して行きます、以前は藪の中で在ったが現在は綺麗に整備された遺構を又は破壊、消滅された遺構も現在の在るままを紹介します,目に見える写真で城館を記録していきます・・・・・・・・・・・・!!デジブックは2020年3月31日に閉鎖になりました、沢山の御視聴ありがとう御座いました。
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