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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます。

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鷲宮神社 埼玉県久喜市

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(゚△゚;ノ)ノ・・・・・・・鳥居が無くなってますね?(2018年8月に老朽化の為に倒壊した様です。)




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別名を土師の宮(はにしのみや)とも言われ、一説には崇神天皇の時代に河内国から東国へ移住した土師氏が下総国浅草から利根川を上って当地に移住した際に先祖を祀ったのが起源ではないかと言われている。そして、「はにしのみや」がいつしか訛り、現在の「わしのみや」になったとされる。後述する神楽は、伝承に基づいて「土師」の名称を用いている。
鷲宮神社は「関東最古の大社」を名乗っているものの、歴史資料に現れるのは『吾妻鏡』の建長3年(1251年)の記載が最初であり、この主張は根拠を欠いている。ただし、発掘調査によって縄文時代の遺跡が見つかっており、古くから住民がいたことはわかっている。
中世以降には本社周辺の地域が将軍領・太田荘となり、総社として扱われたことから関東の総社・関東鎮護の神社として東国の武家の崇敬を受けた。建長3年(1251年)、北条時頼が当社に奉幣祈願したことが『吾妻鏡』にあるほか、藤原秀郷・新田義貞・古河公方・関東管領の歴代上杉氏などが幣帛の奉納、神領の寄進、社殿の造営などを行っている。鎌倉時代から室町時代までは太田荘の総社であったため、藤原秀郷流太田氏、後に子孫の小山氏が管理しており、裏手には栗原城という城郭が存在した。応安5年(1372年)には小山義政が社殿を再興している。また、太田荘内、中川沿いには多数の分祀が生まれた。
天正19年(1591年)、徳川家康が社領400石を寄進し、歴代の将軍も朱印状を発行して社領を安堵した(朱印地)。江戸時代初期から明治時代初期まで、神社所領は大内氏が治めた(所領約1000石)。江戸時代初期、徳川家光が日光東照宮を参拝した際、利根川渡河の警備に参加した大内氏は利根川に落水した家光を助けた。この功により、本来ならば領地を加増されるところであったが、関ヶ原から間もない時期でその余裕もなかったためか、その代わりに江戸城内での1万石の格式を与えられた。そのため、江戸城への登城時は大名が通される部屋に通されたほか、大内氏の用人は江戸城内では「家老」待遇となったと伝えられる。
明治元年(1868年)、明治新政府により、准勅祭社(東京十二社)の1社に指定された。明治初頭の寺院整理神社統合により、別当大乗院は廃止された。






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鷲宮堀内遺跡碑  縄文時代の遺跡が発見されたことを記念する石碑





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光天之池(みひかりのいけ)
鷲宮神社境内に所在し、「龍神様が住んでいる」という伝承を持つ御神池である。
古くから所在していたこの池は、経年とともに次第に土砂が水面に流れ込み、長らく地中に埋もれていた。しかし、1999年(平成11年)から境内整備事業の一環としてこの場を含む境内地にて復元作業および土砂の搬出が行われたほか、湧き水とともに龍のような霧が噴出して上空を覆ったという逸話から光天之池と名付けられた。他の境内社の社号碑と同様である名前の碑と朱塗りの鳥居が存在しており、奥には前述の御池社が鎮座している





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_DSC0659改源頼朝 お手植えのもっこく





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鷲宮神社社殿 拝殿




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鷲宮神社社殿(本殿・拝殿)
主祭神の天穂日命と武夷鳥命、合祀祭神九柱を祀る。本殿は鷲宮神社本殿と後述する神崎神社本殿の2つがあり、拝殿は鷲宮神社本殿の前にある。南面しているため、参道からは右に曲がって参拝することになる。西側(左側)には祈祷者待機所があり、御祈祷の際にはこちらから昇殿する。夏には拝殿前に茅の輪が作られる





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鷲宮催馬楽神楽 久喜市鷲宮に伝わる鷲宮催馬楽神楽は関東神楽の源流といわれ、昭和51年(1976年)、第1回目の重要無形民俗文化財指定の際に指定を受けました。





[埼玉県久喜市鷲宮1丁目6−1]

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