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古城巡り 写真館
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甲府城 山梨県甲府市

2019/03/11
山梨県 0
甲府城






舞鶴城址公園
舞鶴城址公園/甲府城




天正10(1582)年に武田氏が滅びると、甲斐は織田信長の領国となりましたが、本能寺の変後は徳川家康の支配下となり、平岩親吉が城代になりました。豊臣秀吉が天下統一を果たすと、徳川家康は関東に移され、甲斐は秀吉の甥にあたる羽柴秀勝が支配することになりました。秀勝の移封後は、加藤光泰が、光泰が文禄の役で没すると浅野長政・幸長の支配となりました。
発掘調査により、城内の各曲輪から浅野家の家紋瓦や、金箔や朱を施された瓦、豊臣家の家紋瓦が出土していることから、築城はこの頃と考えられています。関ヶ原の戦後に、甲斐は再び家康の支配下となり、慶長12(1607)年には幕府の直轄地となりました。城番は武田十二騎がつとめ、支配が代わった後も城番制度が続きましたが、寛文元(1661)年に徳川家光の四男の徳川綱重と、その子綱豊(後の6代将軍家宣)が甲府藩・甲府家をたてました。その頃城の大規模な修復がおこなわれています。







国府城内堀




宝永元(1704)年、5代将軍徳川綱吉の側用人である、柳沢吉保とその子柳沢吉里が甲府藩主となりました。柳沢家が大和郡山に転封されるまでの約20年間続いた。柳沢家とともに、家臣団や家族が甲府に移動し、城内・城下ともに武家地を中心に整備されました。
享保9(1724)年、再び幕府の直轄地となり、甲府勤番支配が、山手組・追手組それぞれに1名ずつ就任し、その下に勤番士100人、与力10騎、同心50人が配され、甲府城と周辺の警護をおこないました。





石垣





櫓





城門2





甲府城天守台



明治維新の廃城以降、甲府城は兵部省(後の陸軍省)の管轄となり、勧業試験場が建てられ、北側部分は中央線の線路となりました。大正6(1917)年に県有財産となり、昭和時代に入り西側部分が市街化されました。昭和43(1968)年、県史跡に指定され、平成2年からは公園整備事業が着手され、発掘調査や整備がおこなわれ、現在の姿になっています





[山梨県甲府市丸の内1丁目5−4]

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樋口山城守与六
Admin: 樋口山城守与六
関東を中心に、全国の城館をPhoto・PhotoMovieにて紹介します。近年(又は現在)の城館を紹介して行きます、以前は藪の中で在ったが現在は綺麗に整備された遺構を又は破壊、消滅された遺構も現在の在るままを紹介します,目に見える写真で城館を記録していきます又史跡、神社仏閣、自然を気ままに撮ります・・・・・・・・・・・・城巡り・カメラからのキャンプ覚醒!!
今年初キャンは・・・暴風雨(@_@)・・・翌月は雪(>_<)・・・雨((+_+))・・・そして今日梅雨明けの快晴(*ノωノ)!!
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