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古城巡り 写真館
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萩藩主毛利家墓所 東光寺 山口県萩市

2019/02/17
武士の終焉~墓所&供養塔 0
吉田松陰誕生地近くの萩市大字椿東字椎原にあり、元禄四年(1691年)萩藩三代藩主毛利吉就(よしなり)(1668-1694)が建立しました。吉就は若くして黄檗宗に帰依して、本山黄檗万福寺に範を求めて広壮な堂を建立し、萩出身の高僧慧極道明禅師を開山に迎えました。吉就の没後、ここを墓所とし毛利氏の菩提寺となりました。




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三門(国指定・重要文化財)
この門は東光寺が創建されて百二十一年後の文化九年(1812年)九月十九日に竣工しました。藩主毛利斉熙が寄進したもので、「文化八年辛未七月念有八日始斧」・「同九歳次壬申九月十有九日竣工」の棟札があります。

規模は地方寺院のものとしては有数で、桁行十一・六メートル、梁間六・七メートルの三間三戸(柱間が三つ、戸口が三つ)の二階二重門です。入母屋造り本瓦葺き、棟の両端は鯱付き鬼瓦備え、中央は露盤宝珠備えで、ケヤキの素木造りとなっています。左右に山廊があって、ここから上層部への階段が通じていて、二階には周囲に通し縁があって、内部には十八羅漢等が安置されています。全体の構造形式は純粋な唐様で、組物は上層軒内唐様二手先詰組です。





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鐘楼(国指定・重要文化財)
鐘楼は、黄檗宗特有の一重もこし付きの素木造二層式の建物で、用材はヒバとマツが使われています。屋根は入母屋造りで上層部は本瓦葺き、下層部は桟瓦葺きとなっており、上層には、刎高欄を据えた縁が周囲に廻してあります。主屋組物は絵様刳形付き大斗肘の間斗束構出組納です。上層内部には、毛利家四代藩主・吉広公が当事の藩における鋳物師の名工郡司喜兵衛・源太夫父子に命じて鋳造させ、寄進された大鐘があります。この大鐘の銘は開山の慧極禅師の撰によるもので、それには元禄七年(1694年)五月十五日、すなわち当山開基の毛利家三代藩主吉就公の葬儀が行われた翌日の日付が入っております。






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大雄宝殿(国指定・重要文化財)
東光寺の大雄宝殿(本堂)は元禄十一年(1698年)十二月に竣工しました。一重裳階付き、入母屋造、本瓦葺きで、用材はクサマキです。組物は三ツ斗出組構えで、前面一間通りは吹放しになっていて、左右と背面の入側は化粧屋根裏、中央は格子天井組など複雑な建築技術を駆使した唐様式の仏殿です。黄檗宗では本堂を大雄宝殿と呼びますが、「お釈迦様のいらっしゃる所」という意味です。現在でも中国・韓国では同じように呼んでいます。堂内は土間叩仕上げで、中国明時代の法要の法式を継承する黄檗宗の読経は現在でも立ったまま行います。

須彌壇上には本尊として、長寿院夫人(開基毛利吉就公夫人)の寄付にかかる釈迦如来、脇士迦葉尊者、阿難尊者の三尊仏を安置しています。「大殿本尊の記」(恵極の文・雪門の筆)には「長寿院大夫人大善心を発して金百両を喜捨して京兆の大仏師法橋藤村忠円に命じて釈迦如来並びに迦葉阿難のニ尊者の立像を製作して住持門公(雪門)をして護国の大殿に安置せしめ」とあります。また、柱は全て方柱で、内部は数多くの聯や額によって荘厳されています。







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萩藩主 毛利家墓所(国指定・史跡)
御廟(おたまや)ともいわれるこの墓所には、東光寺開基の三代藩主毛利吉就公から十一代までの奇数代の藩主ならびにその夫人の墓が正面に、また、それらの右手、左手と入口手前に一族関係者(子、孫、側室、侍女ら)の墓があります。

まず目を引くのが、墓所内に整然と左右均等に並んでいる約五百数基の石燈籠です。この石燈籠は家臣らが寄進したもので、その一基一基に弔う藩主・夫人の法名と寄進者名・年月日が刻んであります。墓の形式は五輪塔形の大照院のそれと違って唐破風の笠石付き角柱(位牌)の形に統一してあり、法名が刻んであります。法名が赤字で書いてある墓は、生前に立てられた墓ではないかといわれています。





歴代藩主墓所配置
歴代藩主墓所配置図




毛利家藩主墓所 萩
萩藩主毛利家墓所





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「四大夫十一烈士の墓」には1864年に勃発した禁門の変と下関戦争の敗北により、尊王攘夷派が一掃され、恭順派が藩の政権を握り、益田・国司・福原の3家老が自刃した。また尊王攘夷派11名も野山獄に投獄されて斬首となった。四大夫とは、長州藩永代家老・益田親施、長州藩永代家老・福原元僴、長州藩家老・国司親相。この3人の家老は、禁門の変の責任を問われ、1864年11月11日に自刃。そして長州藩家老・清水親知は備中高松城の戦いで知られる清水宗治の子孫に当たる人物、一番右端は、周布政之助のものである。




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四大夫十一烈士の墓説明板




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[山口県萩市椿東1468−1]

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*場所は駐車場の位置にしてあります。


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樋口山城守与六
Admin: 樋口山城守与六
関東を中心に、全国の城館をPhoto・PhotoMovieにて紹介します。近年(又は現在)の城館を紹介して行きます、以前は藪の中で在ったが現在は綺麗に整備された遺構を又は破壊、消滅された遺構も現在の在るままを紹介します,目に見える写真で城館を記録していきます又史跡、神社仏閣、自然を気ままに撮ります・・・・・・・・・・・・城巡り・カメラからのキャンプ覚醒!!
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武士の終焉~墓所&供養塔