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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photo Movie で見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

古城巡り 写真館

PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
城エクスポ2019

大崎城(矢作城) 千葉県香取市

大崎城(矢作城)





完成 大崎城(矢作城) 千葉県香取市
㊟イメ-ジ図になります(-ω-)/・・・2019.1現在では城内は、激藪状態です。




国分胤通は父常胤の代理として国衙に関わっていたと考えられ、頼朝の元に参上した時には既に国分を称していた。香取神宮領の地頭職を常胤から譲られ、嫡男時通を除いた国分氏は皆、大戸荘へ移った。時通には後継がなく、惣領家は初期に姿を消し、大戸荘に移った国分氏はそれぞれ独立した御家人となった。本矢作城、大崎城主であった矢作国分氏は時通の六男常義から始まる国分氏を代表する家であるが、常義の頃はただの一流に過ぎなかった。常義の嫡子胤実は千葉介頼胤の後見人となり、その孫泰胤は「国分矢作惣領」と記されていることから、この頃には国分氏の中でも大きな勢力を持っていたと考えられる。大崎城を築いたのもこの頃とされる。享徳の乱では、馬加康胤に味方したらしく、その後も下総千葉氏に仕えて、臼井合戦や武田氏の小弓城攻めの際には、千葉介の命令で援軍を送っている。永禄4(1561)年頃から度々正木氏の攻撃を受け、永禄8(1565)年、遂に落城する。しかし、胤政は天正9(1581)年、大戸川内の浄土寺を再建したとあり、天正年中には大崎城を取り戻していた様だ。その後本拠を岩ヶ崎城へ移したと言われるが、定かではない。




_DSC9581本命寺
郭3麓の本命寺、郭内には墳墓に墓が点在




_DSC9594郭3 土塁1
郭3 土塁




_DSC9619 北側の遺構へ
両総用水と奥が北側の郭2、郭1方面・・・・・・基本激藪




_DSC9641 堀切 堀底から
郭2側の堀切(用水工事の際に、掘り下げられたのか?)





_DSC9659 北側の城エリア
麓東側から見た、郭1方面





_DSC9579改
本命寺前の標柱




[千葉県香取市大崎965]

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