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古城巡り 写真館
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部垂城 茨城県常陸大宮市

2018/12/30
茨城県 0
_DSC8495部垂城 主郭
大宮地域大宮市街地に跡を残す中世城郭です。城の中心部分には、現在、市立大宮小学校が建っています。
 部垂城は、久慈川西岸の比高25mの大宮台地北側の縁辺部に築かれた城郭で、東西400m・南北300mの規模をもちます。14世紀頃、常陸平氏の子孫である河崎頼幹が築城したと伝えられ、長禄年間(1457-60)に岩瀬一族の小貫頼定がこれを奪い居城とします。その後小貫氏が3代 約70年間城主を務めましたが、享禄2年(1529)、佐竹宿老として重きをなした3代俊通の時、佐竹17代 義篤の実弟 義元の攻撃に遭って城を奪われました。宇留野氏の名跡を継いでいた義元は、以後、部垂義元を名乗ったようです。
 兄 義篤との関係が思わしくなかった義元は、部垂攻略を契機として一層険悪となり、部垂十二年の乱(部垂の乱)と呼ばれる争乱に発展します。このような中で、義元は家臣団の強化や、部垂城の大規模な拡張工事を行なったようです。天文9年(1540)3月14日、突然義篤が兵を集めて部垂城を攻撃。義元は討死、城も落城して、部垂の乱は終結しました。
 この義篤の突然の来襲については、部垂城大手橋の架け替え工事担当の奉行 大賀外記(おおが げき)を、義元が工事結果の不満から衆人環視の中で罵倒したことから、逆恨みした外記が太田の本家に走り、部垂城を要害堅固にしているのは義元が本家に謀反(むほん)を企てているからだと讒言したためと伝えられています。




部垂城 松吟寺古墳は土塁
松吟寺古墳は土塁(櫓台か?)




_DSC8478.jpg
山門は、元禄五年(1692年)御檀家様により建立されたものであり天保六年(1835年)の火災にも焼失を免れました。「木端葺唐風屋根四足門(こばぶきからふうやねよつあしもん)」であり、江戸中期の建築としても貴重なものです。




_DSC8476 部垂城 土塁
松吟寺古墳背後の土塁






_DSC8479改
松吟寺 本堂(郭Ⅳ)




_DSC8486部垂城 帯郭
小学校校舎背後の帯郭




_DSC8491部垂城 郭3 腰郭
西方寺(郭Ⅲ) 北側の腰郭




_DSC8493 部垂城 郭3西方寺
西方寺(郭Ⅲ)




_DSC8494 部垂城 郭3 土塁?
西方寺(郭Ⅲ)の土塁







完成 部垂城@ヤマシロ改
㊟部垂城イメ-ジ図



[茨城県常陸大宮市北町116]


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樋口山城守与六
Admin: 樋口山城守与六
関東を中心に、全国の城館をPhoto・PhotoMovieにて紹介します。近年(又は現在)の城館を紹介して行きます、以前は藪の中で在ったが現在は綺麗に整備された遺構を又は破壊、消滅された遺構も現在の在るままを紹介します,目に見える写真で城館を記録していきます又史跡、神社仏閣、自然を気ままに撮ります・・・・・・・・・・・・城巡り・カメラからのキャンプ覚醒!!
今年初キャンは・・・暴風雨(@_@)・・・翌月は雪(>_<)・・・雨((+_+))・・・そして今日梅雨明けの快晴(*ノωノ)!!
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