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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます。

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景徳院 山梨県甲州市

景徳院 総門
景徳院は2度の大火で焼失したが、唯一、創建当時から残っている門。




景徳院の創建は天正16年(1588)、徳川家康が武田勝頼(躑躅ヶ崎館の城主)の菩提を弔う為、家臣である小幡勧兵衛景憲に命じて寺院を建立したのが始まりと伝えられています。武田勝頼は天正10年(1583)、織田信長の甲斐侵攻により新府城から天目山を目指しましたが小山田信茂の謀反により田野で自害、景徳院はその地に開かれた為、当初は田野寺と呼ばれました。その後、一時衰退しましたが、寛永年間(1624~44)に再興され、勝頼200周忌の安永4年(1775)には勝頼の墓である宝篋印塔が建立されています。創建当時の境内は勝頼の菩提寺として隆盛し七堂伽藍が建ち並ぶ壮大な寺院だったそうですが弘化2年(1845)と明治27年(1894)の火災により多くの堂宇が焼失し、現在残されている建物としては安永8年(1779)に建てられた、三間一戸、入母屋、銅板葺の山門(楼門)だけとなってしまいました。境内には武田勝頼、北条夫人、信勝の墓の他、最後まで従った将兵や侍女の墓、勝頼、夫人、信勝の生涯石、勝頼が信勝の為に最後に御旗を掲げた旗竪の松、3人の位牌を安置する甲将堂などが残り、武田氏最後の地として山梨県指定史跡に指定されています。





景徳院 本堂
景徳院 本堂






景徳院境内案内図
景徳院境内案内図




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北条夫人辞世の句の碑




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甲将殿 勝頼、夫人、信勝の像や、武田氏ゆかりの遺品などが保存されている




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勝頼公生涯石  武田勝頼はこの石の上で自害したと伝えられています 天正10年(1582) 3月11日の事で、時に勝頼37歳。





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北条夫人生涯石 勝頼の正室(後室)の北条夫人は、小田原の後北条氏 3代当主氏康の 6女(4代当主氏政の妹)
天正 5年(1577)1月に勝頼に嫁ぎ、5年後この地で19歳という短い生涯を終えました。





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信勝公生涯石  勝頼の嫡男・信勝の実母は死別した勝頼の正室で、織田信長の姪に当たる遠山夫人。
信勝は16歳で、父・勝頼、そして最期まで付き従った家臣らとともに自害し、名門・甲斐武田氏はここに滅亡しました。





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甲将殿 (影殿)  甲将殿には武田勝頼主従の位牌が祀られています





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没頭地蔵
勝頼公(37歳)、北条夫人(19歳)、信勝公(16歳)の 3人を祀った 3体の地蔵尊ですが、3体とも頭部がなかったそうです。
またこの場所は、北条夫人を葬った場所とのこと。





[山梨県甲州市大和町田野389]


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