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古城巡り 写真館

PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
城エクスポ2019

岩殿城・花咲城~武田家重臣にて裏切り者!!

岩殿城・花咲城

山梨県大月市



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小山田氏の居城であり、戦国時代には東国の城郭の中でも屈指の堅固さを持っていたことで知られた。山梨県指定史跡(指定名称は「岩殿城跡」)。

岩殿山は初め、9世紀末頃天台宗の円通寺として開創されたと伝えられており、13世紀に入ると天台系聖護院末の修験道の場として栄えており、16世紀になって大名の領国支配制が成立すると武田・小山田両氏の支配を受けるようになった。

築城は戦国時代の1530年代に武田氏の親族衆の扱いを受けた小山田氏によると考えられている。大月は武蔵国など関東地方へ至る街道が交差する地点に位置し、甲府盆地と異なる地域的まとまりをもっていた。小山田氏は初め武田氏に対抗していたが、永正6年(1509年)武田氏の傘下に入った。その後は軍事的に武田氏が相模の北条氏や駿河の今川氏、武蔵の上杉氏らと争った際の衝突地点となり、国境警備の役割を果たした。

東西に長い大きな岩山をそのまま城にしており全方面が急峻で、南面は西から東までほとんどが絶壁を連ね、北面も急傾斜である。東西から接近できるが、それも厳しい隘路を通らなければならない。各種の防御施設が配されたが、天然の地形のせいで郭も通路も狭く、大きな施設の余地はなかった。周囲には集落や武家館が点在していたと考えられている。

天正10年(1582年)に織田軍が甲斐に侵攻したときに小山田信茂は織田方へ寝返り、岩殿山城へ落ち延びてくる武田勝頼を郡内に入れず、進退に窮した勝頼は天目山で自害した。武田家を滅亡させる事に深く関わった小山田信茂だがこの戦いののち、織田信長により処刑された。

江戸に武家政権を成立させた徳川家康は、幕府の緊急事態の際に甲府への退去を想定しており、江戸時代にも岩殿山城は要塞としての機能を保った。

花咲城

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中央高速の大月インターのすぐ西側で花咲カントリー倶楽部と高速の間にある小高い丘が花咲鐘撞堂砦であります。砦には西方寺裏の高速下のトンネルを抜けて訪れます。
車もこの辺りに停めて5分ほど登れば砦に到着します。現在残る遺構は神社が祭られている郭と社背後の土塁、さらにその外側に堀切が一部残されております。
堀切より続く尾根は土取りされ破壊されておりますので旧状がどのようであったか不明ですが複郭があった可能性もあります

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