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古城巡り 写真館
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菊之池城 熊本県熊本市

2018/10/14
熊本県 0
菊池城 遠景
菊之池城 遠景
この城は深川城・菊池古城・雲上城とも呼ばれ、周辺の平地部に比べ少し高い   なっているが『菊池風土記』に『深川 、北宮の田の中に一丁 の  、高く四方  石垣築き廻したるところ有り』と、周囲に をめぐらすことによって城の形を保っている。
菊池十八外城の一に数えられるが、時代的には他の城に比べ最も早期のもので、この菊之城から三百年を経て隈府山城へ至る。山城としての防備上の変遷があった。
この城跡は一様な平担地でなく、1メートル未満の段差によって、25メートル×50メートルと53メートル×65メートルの両区画に分かれている。また明時代のものと推定される青磁片が出土したことがある。
このように、周囲の構造と状況からみて城跡というより、館跡と考えた方が妥当と思われる造りである。
菊池市教育委員会(現地案内板より)



菊池之城 城址
菊之城は土塁と堀壕で囲まれた広い屋敷を持つ館であったと思われる。後に守山城に移るまで、この居館を中心に営々として領内の開発に努め、さらに菊池氏歴代が南朝方に味方した拠点であった。






菊之地城 城址碑





菊之池
菊之池
菊池初代則隆が菊池に下向したとき、この深川に館を構えた。『菊池餘芳』によれば、・・・ 深川村に広大なる池あり。其形花様をなし、池辺一体菊花乱開して紅白爛漫たり。則隆公即ち名付けて菊の池と称せり。且つ此池池水漫々として漲り、旱魃(かんばつ)の際河水乾涸するも池水は尚涸るることなく郡中の田を濕せり。
是れ当家を起こすの吉端なりとて則隆公即ち氏を菊池と改め、其城郭を菊の城と称し、郡も菊池と称えたりと云ふ。

とあるが、則隆が菊池に下向してから千年近くを経った。現在は水は涸れ周囲の環境は変わって、昔をしのぶことはできない。
ただ、地名だけは『菊之池』として残り、この地区の小学校の名称も『菊之池小学校』と呼ばれ、昔の面影をとどめている。
菊池市教育委員会(現地案内板より)




菊池則隆の墓
菊池則隆の墓
菊池則隆は大宰府天満宮領赤星荘園の荘官として延久2年(1070)、この肥 で水運の便のよい菊池平野の一角、深川に拠って居城を構え、地名をとって菊池を氏とした。
深川は穀倉地菊池の中心であり、当時は佐保川から菊池川本流に通じる交通の要衝でもあったので、この地を拠点に勢力を伸ばし、早鷹天神(菊池市赤星)・老松天神(西合志町弘生)・山崎天神(熊本市)・田口天神(甲佐町)および玉名市の川崎・高瀬・津留の天神を勧請した。これらは菊池氏が荘園の防備保全のため勧請した荘園神でもあり、荘園内での押領など不法を働く荘官、住人に対し天神の怨霊の力を示すものでもあった。この地には南北朝の頃まで累代居館が続いた。
則隆の墓は文化15年(1818)に創建され、明治・大正の工事を経て現在の状態になった。
菊池市教育委員会(現地案内板より)





[熊本県菊池市北宮196−8]

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樋口山城守与六
Admin: 樋口山城守与六
関東を中心に、全国の城館をPhoto・PhotoMovieにて紹介します。近年(又は現在)の城館を紹介して行きます、以前は藪の中で在ったが現在は綺麗に整備された遺構を又は破壊、消滅された遺構も現在の在るままを紹介します,目に見える写真で城館を記録していきます又史跡、神社仏閣、自然を気ままに撮ります・・・・・・・・・・・・!!デジブックは2020年3月31日に閉鎖になりました、沢山の御視聴ありがとう御座いました。
今年初キャンプは・・・暴風雨・・・良く月は雪・・・雨・・・そして今日はどうかな!!
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