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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます。

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桐生氏菩提寺 西方寺 群馬県桐生市

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桐生氏菩提寺 西方寺 本堂


 西方寺の創建は鎌倉時代の安貞年間(1227~1229年)、野州(現在の栃木県)の領主だった宇都宮頼綱(実信房蓮生)が出家、その親類縁者により堂宇(阿弥陀堂)が建立されたのが始まりと伝えられています。正平5年(1350)、当時の領主、桐生国綱が桐生城を築城した際、阿弥陀堂を改めて寺院として境内を整備し歴代の菩提寺とし寺号を「入道人西(国綱の称号)」から「西方寺」に改めました。当初は浄土宗の寺院でしたが明徳3年(1392)、豊綱の代に峻翁令山和尚(法光円融禅師)を招いて臨済宗に改宗し、その後も桐生氏の累代の菩提寺として庇護され寺運も隆盛します。天正年間(1573~1592年)に金山城の由良成繁との対立から桐生城は落城、当時の当主桐生親綱は実家である佐野家を頼り落ち延び事実上没落、西方寺も庇護者を失い衰微します。その後、再び再興され江戸時代には幕府から寺領15石が安堵、末寺7ケ寺(渭雲寺・長谷寺・棲松寺・崇福寺・慈眼寺・東照寺・広福寺)、塔頭2院を擁し寺運も回復しました。文政6(1823)の火災で多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失しましたがその後随時再建整備が行われました。寺宝の木彫寄木造座像(群馬県指定重要文化財)は鎌倉時代に制作されたもので像高59㎝の寄木造で体内には墨書名があり永正18年(1521)に修理した旨が書かれています



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桐生氏墓所
桐生氏歴代の墓碑(層塔1基・五輪塔13基:基本的には初代から10代のものが室町時代、残りの3基が江戸時代に建立されたと推定されています。義綱、親康、重綱、助綱の墓碑だけは判別可能)があり昭和37年(1962)に桐生市指定史跡に指定されています



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桐生七福神 布袋尊


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三色の曼殊沙華



[群馬県桐生市梅田町1丁目266]

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