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古城巡り 写真館
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改 御所ノ入館(御所ノ入城・御所ノ入城砦) 栃木県佐野市

2018/07/29
栃木県 0
_DSC4988御所の入り館1
御所ノ入 
右手に「そば処御所ノ入」が有り、この道を直進した突き当りが館跡,数日前にも訪れましたがやっと場所を発見!!



_DSC4986佐野房綱の墓2
報恩寺(佐野房綱(天徳寺宝衍)の菩提寺)
寺伝によれば、佐野に落ち延びた木曽義仲の子・清水冠者義高が名を佐野(岩崎)義基と改め、父祖の霊を弔うために一寺を建立し、栄西禅師を招請して開山としたことに始まるといいます。当時は如法寺と称しましたが、21世三伯玄伊和尚の時に報恩寺と改めました。佐野房綱(天徳寺宝衍)の菩提寺でもあります。



伝御所の入館入り口
伝御所ノ入館入り口 
目印は、そば処御所ノ入りを通り過ぎての突き当りで館跡前には二軒の家が有ります

伝御所之入館
二軒目のお宅の北側の山の麓が館跡で開けた削平で、清水八幡宮の祠と五輪塔が有り,ちょい立木で見えませんね!



東側に彦馬川が流れ、南方には報恩寺が在ります。詳細は不明ですが文治年間(1185~90)に岩崎(佐野)越前守義基が住んだと言われます。義基は源平合戦に際した木曽義仲と源頼朝の抗争に関連し、地元に伝承られている人物です。
吾妻鏡では、寿永2年(1183)木曽義仲は子である11歳の義高を頼朝のもとへ送ったとしています。そして寿永3年(1184)義仲が追討だれると、義高は鎌倉を脱出した後、武州入間川原で打ち取られたとされます。しかし、新合村郷士誌等では、義高が山形町の御所ノ入で佐野基綱にかくまわれ、基綱の一字をもらい義基と名乗たとし、その後に岩崎や吉水に住んだとしています・・・・
・・・・・・又佐野市西部を拠点にした岩崎氏、鳥居戸(とりいど)氏に関して地域の古文書に「木曽ノ直伝」とあり、西佐野に木曽の流れを引く一派がいた可能性があると思われる・・・真相はいかに!!





清水八幡宮 祠
木曽義仲の子・清水冠者義高を祀る清水八幡宮の祠



源義高供養塔伝
義高の墓と伝えられる五輪塔で地元では「御所様の墓」と呼ばれている
この五輪塔は比較的大型で安定感を有し、市内の五輪塔の中でも最古の物であることが推測される。

参考書籍 「佐野の城舘跡より」
2018.7.29改







改改 御所ノ入館 位置図
㊟清水八幡宮(源義高供養塔)の案内板は有りません



[栃木県佐野市山形町1114]

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樋口山城守与六
Admin: 樋口山城守与六
関東を中心に、全国の城館をPhoto・PhotoMovieにて紹介します。近年(又は現在)の城館を紹介して行きます、以前は藪の中で在ったが現在は綺麗に整備された遺構を又は破壊、消滅された遺構も現在の在るままを紹介します,目に見える写真で城館を記録していきます・・・・・・・・・・・・!!デジブックは2020年3月31日に閉鎖になりました、沢山の御視聴ありがとう御座いました。
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