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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・PhotoMovieで見る 城館をどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます。

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田代館 埼玉県越生町

田代館についての詳細は不明だが、田代三喜の誕生の地であり三喜は源平時代の武将である田代信綱の8世の孫・田代兼綱の子として、武蔵国川越の西方、越生で生まれるとされる・・・・・・・。



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田代三喜の略伝については、明治22年に服部甫菴がまとめた『三喜備考』による説が広く流布している。
三喜は源平時代の武将である田代信綱の8世の孫・田代兼綱の子として、武蔵国川越の西方、越生で生まれる。田代氏は伊豆国の豪族であったが、兼綱の代に武蔵国に移住していたという。文明11年(1479年)鎌倉の妙心寺で僧になる。長享元年(1487年)から明応7年(1498年)、明に渡る。当時大陸では金・元代に李東垣、朱丹渓の流れを汲む当流医学が盛隆を極めており、三喜は僧医月湖に師事しこれらの医学を学んだ。
なお宮本義己は実際の遣明船の派遣年度を精査し、永正3年(1506年)に堺から渡明し、大永4年(1524年)に帰国したとしている。
帰国してしばらくは下野国足利に住し、永正6年(1509年)古河公方に招聘されて下総国古河に移る。ここで僧籍を離れ妻を迎える。また同年には猪苗代兼載を治療した事が知られる。
大永4年(1524年)武蔵国に帰る。関東一円を往来して医療を行い多くの庶民を病苦から救って、医聖と仰がれた。「足利の三帰」「古河の三喜」という異称を得ている。
享禄4年(1531年)、当時足利学校に在籍していた曲直瀬道三と佐野市赤見で出会う。三喜は道三をよき後継者とみなして医術を指導した。
三喜は死期近い病床でなお口述を続け、79歳で没す。古河市の永仙院跡には昭和初期に植えられた三喜松と「医聖田代三喜翁供養碑」と刻んだ石碑が建っている。





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最勝寺の石碑





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田代館近くに有る、越生梅林




[埼玉県入間郡越生町古池482−2]

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