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要害山(加護山要害) 新潟県村上市

2018/04/23
新潟県 0
要害山(加護山要害)










揚北(阿賀北)地方(阿賀野川北岸地域)の有力国人領主の色部氏の居城だった。背後に加護山要害(詰めの城)をもち、殿屋敷、二の丸、三の丸、家老屋敷などのある城域を濠や土塁で囲んだ規模の大きな城郭である。もともとはこの一帯を領有していた豪族の平林氏が居城としていたが、色部氏が南北朝時代に南朝方に属していた平林氏を攻め滅ぼして、以降、色部氏代々の本拠地となった。色部氏は桓武平氏秩父氏の支流で、1180年(治承4)に源頼朝と平氏との間で行われた富士川の合戦での戦功により、頼朝から小泉庄色部条の地頭職に任じられ、越後に移り住み、色部氏を名乗った。上杉謙信の父・長尾為景が越後守護代として勢力を伸ばしていたころ、色部氏は村上城(村上市)を拠点としていた本庄氏や、竹俣城(新発田市)の竹俣氏らとともに揚北衆(阿賀北衆)とよばれ、たびたび為景に反抗した。永正年間(1504~21年)、城主の色部昌長は越後守護上杉房能に従い、守護代の長尾為景と対立。平林城は1508年(永正5)5月、鳥坂城主の中条氏や築地氏など為景方の攻撃を受けて落城、色部氏は降伏して長尾氏に帰属した。その後、色部氏(色部)は上杉謙信の重臣として活躍した。1598年(慶長3)、上杉景勝の会津移封にともない、平林城は廃城となった。本丸、二の丸、三の丸などの曲輪(くるわ)跡には土塁、堀、井戸跡などの遺構が現存するほか、背後の加護山要害の遺構も残っている。
加護山要害へは、ハイキングコ-スと案内板が整備されており、多くのハイカ-が訪れています。





加護山要害登山口
加護山要害登山口




加護山要害 城門跡
加護山要害 城戸門跡




加護山要害 馬洗い池
加護山要害 馬洗い池




加護山要害 のろし山
加護山要害 のろし山




加護山要害主郭
加護山要害 主郭




加護山要害からの展望
加護山要害からの展望






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樋口山城守与六
Admin: 樋口山城守与六
関東を中心に、全国の城館をPhoto・PhotoMovieにて紹介します。近年(又は現在)の城館を紹介して行きます、以前は藪の中で在ったが現在は綺麗に整備された遺構を又は破壊、消滅された遺構も現在の在るままを紹介します,目に見える写真で城館を記録していきます又史跡、神社仏閣、自然を気ままに撮ります・・・・・・・・・・・・城巡り・カメラからのキャンプ覚醒!!
今年初キャンは・・・暴風雨(@_@)・・・翌月は雪(>_<)・・・雨((+_+))・・・そして今日梅雨明けの快晴(*ノωノ)!!
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