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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photo Movie で見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

古城巡り 写真館

PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
城エクスポ2019

騎西城(私市城) 埼玉県加須市

DSC_8261騎西天守
騎西城模擬天守 ㊟このような天守は騎西城には有りませんでした。





江戸時代初めの騎西(私市)藩の藩庁が置かれた城。湿地に築かれた沼城である。築城時期、築城者はわかっていないが、執事(関東管領)の山内上杉氏と室町幕府(足利将軍家)とが対立し、鎌倉から下総国古河(茨城県)に拠点を移した鎌倉公方(古河公方)の足利成氏が1455年(康正1)に、深谷上杉氏(山内上杉氏の支流)の庁鼻和(こばなわ)性順(上杉憲信)と長尾景仲が守る同城を攻略したという記録が史料の初見である。その後、騎西城は古河公方の前線拠点となり、城の整備が進んだ。16世紀初めには、種垂城(同町)から小田顕家が入城し、その後、顕家は忍城(行田市)の城主成田親泰の次男朝真を養子として同城の城主とした。北条氏の勢力が拡大する中、忍城の成田長泰とともに長尾景虎(のちの上杉謙信)に従ったが、長泰の上杉氏離反にともない、騎西城も北条氏方の城となった。1563年(永禄6)、越後の上杉輝虎(のちの謙信)は、相模の北条氏と甲斐の武田氏に攻められていた松山城(比企郡吉見町)の救援に向かったが間に合わず、輝虎は代わりに小田助三郎(成田家時)の守る騎西城を攻撃し、落城させた。その後、同城は再び北条方の城となった。1574年(天正2)には、深谷城(深谷市)奪還のため関東に出陣した謙信が、北条氏の大軍に包囲された関宿城(千葉県野田市)救援のため、菖蒲城(南埼玉郡菖蒲町)、羽生城(羽生市)、岩槻城(さいたま市)とともに、再び騎西城を攻撃した(第三次関宿合戦)。その後1590年(天正18)の豊臣秀吉の北条氏攻め(小田原の役)で、同城は中山道を進んだ豊臣方の軍勢の攻撃にあい、落城した。北条氏滅亡後、徳川家康が関東に入部すると、騎西城には松平康重が2万石で入城し、騎西藩とした。その後大久保忠常(小田原城主の大久保忠隣の子)が城主となったが、1632年(寛永9)に大久保氏の美濃国加納転封に伴い、天領(幕府直轄領)となったことから、同城は廃城となった。現在はかつての本丸周辺まで宅地化が進み、土塁や空堀の一部が残っているのみである





DSC_8247 騎西城 土塁
騎西城 土塁




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DSC_8252改 騎西城 土塁上の城址碑
騎西城 土塁上の城址碑





DSC_8257 騎西城 模擬天守
騎西城 模擬天守





DSC_8259騎西城 説明板より
騎西城 説明板より





DSC_8262 騎西城 ニノ郭
騎西城 ニノ郭





DSC_8266 騎西城 大手門跡
騎西城 大手門跡




DSC_8264 騎西城 本丸方面
騎西城 本丸方面





20018改 埼玉県加須市城館位置






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騎西城



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樋口山城守与六

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