FC2ブログ
古城巡り 写真館
古城巡り写真館へようこそ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photo&PhotoMovieで見る 城館をどうぞ!!

黒羽城改 栃木県大田原市

2017/11/20
栃木県 0
黒羽城@樋口山城守与六
㊟イメ-ジ図になります(-ω-)/



黒羽城






大雄寺 本堂
大雄寺 本堂

応永11年(1404)余瀬白旗城内に創建されたが、戦乱の中、大雄寺焼失、その後文安5年(1448)黒羽藩主第 10代大関忠増により再建、その後、大田原藩大田原資清との争いで第13代大関増次敗死、大関家の後継第14代高増(大田原資清の子)により、天正4年 (1576)に本拠黒羽城を余瀬白旗城から現在の地に移築した。

大雄寺もこの時期に移築し、大関高増の先代藩主大関増次(戒名 久遠院殿超山道宗大居士)を中興開基とし、在室玄隣大和尚を中興開山として大関家累代の菩提寺となった。
第13代増次の院号から、黒羽山久遠院大雄寺と称することとなる




黒羽城城址碑
黒羽城城址碑

1576(天正4)年大関高増が築城し、同町余瀬の白旗城から移り住んだ。城の外郭はすでに破壊されているが、内城の土塁などは残存し、本丸は回字型である。東西約250m・南北約1.5㎞に及ぶ城域で、西の那珂川、東の松葉川に挾まれ、特に西側は断崖となり天然の要害をなしている。城は本丸・二の丸・三の丸及び北城に分けられた輪郭式である。中腹に大手門の旧跡があり、東方に搦手門がある。
当城は九鶴城ともいう、廊下門を建築しているとき「九鶴天に舞へるより之を吉兆として名つけたり」というが、名付け人は高増と伝える。1600(慶長5)年城主資増は大修築を行い、堀・築地を設け、台宿から外城までの通路が狭いので開墾して大路とした。その後、1654(承応3)年増栄のとき本丸を造営したが、1725(享保10)年本丸焼失、1811(文化8)年北城の館一部焼失、1822(文政5)年黒羽城の館全部を焼失。同年工事に着手し
翌年竣工した。旧体に復することはできなかったが、大関氏1万8000石の居城として繁栄した。明治維新とともに廃城した。大関氏の菩提寺は近くの大雄寺である。 
黒羽城跡は現在、黒羽城址公園となっていて空堀・土塁などが良好な状態で保存されている。市指定史跡。




黒羽城 堀切
黒羽城 堀切




黒羽城 本丸堀
黒羽城 本丸堀




黒羽城 本丸
黒羽城 本丸




松尾芭蕉と曽良
松尾芭蕉と曽良 奥の細道で一番長く滞在したのがこの黒羽です





大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
関連記事
スポンサーサイト



Comments 0

There are no comments yet.
樋口山城守与六
Admin: 樋口山城守与六
関東を中心に、全国の城館をPhoto・PhotoMovieにて紹介します。近年(又は現在)の城館を紹介して行きます、以前は藪の中で在ったが現在は綺麗に整備された遺構を又は破壊、消滅された遺構も現在の在るままを紹介します,目に見える写真で城館を記録していきます又史跡、神社仏閣、自然を気ままに撮ります・・・・・・・・・・・・城巡り・カメラからのキャンプ覚醒!!
今年初キャンは・・・暴風雨(@_@)・・・翌月は雪(>_<)・・・雨((+_+))・・・そして今日梅雨明けの快晴(*ノωノ)!!
栃木県