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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photo Movie で見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

古城巡り 写真館

PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
城エクスポ2019

福地城 三重県伊賀市

福地城







城主の福地氏は、平清盛の末裔を称した土豪で、柘植の有力な国人「柘植三方(日置氏・北村氏・福地氏)」を構成した氏族。祈願寺は長福寺(現・万寿寺)と推定され、本尊の地蔵菩薩像の内部から発見された南北朝時代の文書に「ふくちの御てら」とある。この文書には「やなき」という女性から「ふくちの御てらの了賢房」へ宛てた書状が含まれるが、了賢房はやなきの子で、いずれも福地氏の一族と推定される。福地氏は正長2年(1429年)に室町幕府から関氏の討伐を命じられており、この頃既に柘植を代表する国人に成長していたことが確認できる。天正9年(1581年)に織田信雄が伊賀国を攻めた天正伊賀の乱では、福地宗隆が織田方に味方して勢力を拡大したが、天正10年6月(1582年6月)に織田信長が没する(本能寺の変)と、伊賀衆の残党に裏切り者として攻められ、国外へ逃亡した。菊岡如幻の著した『伊水温故』は、福地氏の戦国時代の所領を1000石程としている







福地城 城址碑
福地城 城址碑




丘陵頂上の城郭と丘陵の裾の城郭に大きく分けられ、前者は詰城・後者は居館と推定される。大手門は石垣を用い、礎石の遺構から門扉の存在が確認される。大手門の両側には高さ3.5-4.8メートルの土塁があり、櫓の遺構と推測されている。丘陵頂上には11以上の郭が確認され、同心円状に配置されている
現在、城跡は芭蕉公園として整備されており、遺構を堪能する事が出来ます。




福地城 主郭虎口
福地城 主郭虎口 右手側は櫓台でないか・・・・・




福地城 主郭
福地城 主郭





福地城 居館跡
福地城 居館跡 三方を土塁と堀が巡る






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完成福地城@ヤマシロ
㊟イメ-ジ図になります♪(o・ω・)ノ))
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樋口山城守与六

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