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星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・Photo Movie で見る 城館をどうぞ( `ー´)ノ

古城巡り 写真館

PhotoMovieにて現在の城館・史跡を紹介して行きます!!遺構の有無に関係なく・・・・・・・
城エクスポ2019

国府台城 千葉県市川市

国府台城









享徳の乱の初期に発生した千葉氏の内紛の際に、宗家側の生き残りであった千葉実胤・自胤兄弟が籠城したが、1456年(康正2年)に陥落(市川合戦)、水運にて栄えた市河津を背後に持ち府中として栄えた市川は大きく衰退し、軍事的・経済的な要所は宗家方勢力(武蔵千葉氏)が落ち延びた武蔵国石浜城や江戸城、反宗家勢力(下総千葉氏)の拠点の1つであった小金城に移ることになる。
その後、扇谷上杉家の家臣であった太田道灌が1478年(文明10年)12月に武蔵千葉氏を継承した千葉自胤を援けて下総国境根原(現在の千葉県柏市酒井根付近)での合戦を前に、国府台の地に仮陣を築いたことに始まる。この際に城地として相応しいと見立て、翌年に臼井城にいた下総千葉氏の千葉孝胤を攻めた際、道灌の弟太田資忠らが、この地に城を築いたと記録に残る。
国府台城は要所であるが故に後北条氏、千葉氏、高城氏と里見氏、太田氏、上杉氏らの度重なる勢力争いの舞台となっており、争奪戦が繰り返され城もまた堅固な城郭として整備された。しかし、豊臣秀吉による小田原征伐後、後北条氏に代わって江戸に入府した徳川家康によって廃城にされた。江戸を見下ろす場所にあったからとも言われている





1727年(享保12年)に徳川吉宗によって、関宿からこの地に曹洞宗安国山總寧寺が移され、1885年(明治18年)には陸軍教導団病院が設置された。この病院は後に陸軍衛戍(えいじゅ)病院などを経て、現在は国立国際医療研究センター国府台病院となっている。また、太平洋戦争時に總寧寺と江戸川に挟まれた樹林には、陸軍の手で多くの防空壕が作られた。その後、1958年(昭和33年)9月にこの付近は「里見公園」として整備され、桜の名所となった。そのため、特に病院の跡だった城の南半分は原型を留めていない。残りも多くは住宅街となっているが、堀切や空堀、土塁跡はよく残っており、櫓台の跡も確認できる。
・・・・・・・・・しかし、余り良好な残り方とは言えない




国府台第二次古戦場
国府台第二次古戦場 激戦地




里見公園 この奥に遺構が!!
里見公園 この奥に城址




北東の土塁と虎口
北東の土塁と虎口




郭2 西側の土塁
郭2 西側の土塁 畑の奥に!!




郭5の堀と土塁
郭5の堀と土塁




国府台城から見た江戸川
国府台城から見た江戸川




完成国府台城@ヤマシロ
㊟イメ-ジ図になります(・Д・)ノ



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