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ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・城館及キャンプ・・・花手水も熱い!!Photをどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます・・・・・そしてキャンプ覚醒へ!!

古城巡り 写真館

川越八幡宮 埼玉県川越市

川越八幡宮は、第六十八代後一条天皇の時代の長元3年(1030)に甲斐守源頼信によって創始されました。長元元年(1028)、下総国(千葉)の城主前上総介平忠常は朝廷に謀反を企て、安房、上総、下総の3カ国を従わせ、大軍を起こして武蔵国に攻め入りました。この乱は長元の乱と言われ、3年に渡り鎮圧できませんでした。有力武士だった甲斐守源頼信が長元3年に平忠常追討の綸旨を賜りました。源頼信は当地で必勝祈願を行い、敵陣...

川越最明寺 花手水初 埼玉県川越市

倉幕府執政北条相模守平時頼が弘長二年(1262)に創建した事により始まります。最明寺 鎌倉幕府初代執権北条時政により、伊豆修善寺に於いて暗殺された源氏二代将軍源頼家の二男である千寿丸が落ち延びて出家し、瑶光房道円と名を改めこの地で草庵を結び貧しい生活をされていたと伝えられております。2021.11.28訪問大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )人気ブログランキング...

真岡陣屋 栃木県真岡市

真岡陣屋 Google天明三年(1783)、小田原城主大久保家の領地替えによって真岡郷が幕府領(天領)となり、今までの大名領から代官の支配地となった。最初、代官は江戸詰だったが、寛政五年(1793)に代官となった真岡代官は真岡の荒廃した様子を見て、立て直すためには在地支配が必要と考え、寛政九年(1797)、現在の城山公園に真岡陣屋を建てた。竹垣代官が描いた「真岡陣屋絵図」は市の有形文化財に指定されている。この建物は...

真岡城/芳賀城 栃木県真岡市

真岡城/芳賀城 Google㊟現地説明板を参考にした、イメ-ジ図です(。>ω<。)ノ真岡城の起源には諸説あるが、鎌倉時代末期の貞治元年(1362年)に芳賀高貞が築城して御前城から移転し、戦国時代の天正5年(1577年)になって、芳賀高継が北条氏の侵攻に備えて堅固な城郭としたとの説が有力とされる。1597年(慶長2年)に宇都宮氏が豊臣秀吉によって改易されると同時に廃城となった。江戸時代には遺構の一部が徳川幕府の代官所とし...

フォレストパーク おいらの森 ディ-プフォレスト 2021.11.21~22

今回は、ディープフォレストへ・・・・・・・・・おいらの森デープフォレスト案内図ディ-プフォレスト入り口広場迄の道ここまで車が入れて、荷物を降ろします。広場中央尾根の新たに開発されたキャンプ地・・・今回は見てません!!広場右手側・・・・・今回はこちら側を・・・・・・今日はここを、キャンプ地とする・・・・・・森に紛れる。タープは4×4で良かったかも?又全然寒くなく、冬仕様は暑い位だった。生木の焚火に、難し...

御前城 栃木県真岡市

御前城 Google 1189年、源頼朝に従って奥州合戦で活躍した芳賀高親が、帰国後に御前城を築いたといわれているが、築城に関する記録は残されていない。御前城は、芳賀城が築かれたために廃城になった。説明板は中学校側に有るが、城は説明板の向いの住宅地から畑となる。又堀跡は土の色が違う為、近年迄堀の痕跡が残っていたのだろうか?御前城 説明板と城址碑堀跡 色の違いは近年迄堀が残っていたのか・・・・・・堀跡 此...

東郷陣屋 栃木県真岡市

東郷陣屋 Google寛政11年(1799)、幕府代官の岸本太夫就美によって築城されました。目的は村柄立て直しのための復興仕法の推進強化で、嘉永元年(1847)には二宮尊徳が当陣屋を拠点とし復興仕法に当たりました。嘉永3年(1850)には幕府代官の山内総左衛門董正によって真岡陣屋と統合されました。慶応4年(1868)、佐賀藩を中心とした新政府軍60名が真岡陣屋を襲撃し、時の代官、山内源七郎等を切り、焼打...

伝芳賀氏の墓石 栃木県真岡市

国道121号線に案内の標柱が建っているが、ここから1K位は離れており・・・・・・非常に分かりずらく、京泉鹿島戸観音堂の境内に有るがこれも民家の奥の為分かりずらい!!構造 自然石を台石とし、基礎石をおき、笠石を二層に積み、宝珠をその上にのせる。寸法 総高 約145.0cm~150.0cmただし、右端のものは基礎石を欠き、127.0cmこの墓石は、京泉鹿島戸観音堂境内にあり、南北約11m、東西約9mの長方形の墓域で、各塔とも梵字...

箱根神社 2021.11.7

老杉の参道御本殿に向かう参道の両側には、樹齢6~8百年を超える老杉の並木がそびえて森厳なたたずまいを見せ、朱塗りの権現造りの社殿の背後には、天然記念物ヒメシャラの純林が広がり、眼下に広がる権現御手洗[みたらし]の池と称えられる芦ノ湖に朱の鳥居と霊峰富士を映す、素晴らしい自然に抱かれた神社です。曽我神社境内末社の曽我神社は、日本三大仇討で有名な曽我兄弟が祀られる神社です。播州・赤穂義士の主君仇討と共に...

大見城 静岡県伊豆市

㊟イメ-ジ図になります(・Д・)ノこの地は古くから『城ケ平』と言われ、大見小藤太の居城があったところから名付けられたものです。 城の作られた時代については、はっきりとしていませんが平安時代の末の十二世紀ごろと言われています。城を築いたのは、大見平三家政か、その子の大見小藤太成家と推定されています。また、古くから山下一帯を「根小屋」と総称しています。 大見城は旧中伊豆町のやや北部、大見川と柳瀬川の合流...

田代砦 静岡県伊豆市

 ㊟イメ-ジ図になります(。>ω<。)ノ鎌倉時代、源頼朝、義経旗下の知将として名を馳せた田代冠者信綱は、この地の地頭職としてこの田代郷に居住を構え、この地域一帯を治めていたと云われる。この地に残る墳墓と砦跡は居ずと源氏の由緒にかかわる史跡の一つとして、歴史の語り部の感があり。この地が当時の牧農の中心地であったことも伺い知る事が出来る。現地 説明板より入り口向の駐車場説明板城址碑田代信綱と一族の墓...