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ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・城館及キャンプ・・・花手水も熱い!!Photをどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます・・・・・そしてキャンプ覚醒へ!!

古城巡り 写真館

耳取城 長野県小諸市

Googl@耳取城佐久地域にあった大井荘の地頭大井光長は岩村田に本拠を置いて、自分の子を荘内の要地に配置した。 四男行氏は弘安年間(1278~88)耳取の地に居を構えた。城を構えたのは室町時代中期の応仁・文明の大乱の頃といわれる。天文12~13年(1543~44)頃、 この地方にも武田氏が侵攻してきた。耳取城主大井安満は武田氏に降り、その後も北条氏、依田信蕃とその子松平康国に仕え、 康国の上野藤岡移封にあ...

岡崎三郎信康供養塔・小笠原貞慶供養塔 隆岩寺 茨城県古河市

安土桃山時代の文禄4年(1595年)、古河城主・小笠原秀政が正室の父・松平信康を弔うために開基した。開山は岌道上人による。松平信康は徳川家康の長男だったが、武田勝頼との内通を疑われ、織田信長の命により自害・非業の死を遂げていた。明和4年(1767年)、火災にあい、のちに再建されている。小笠原貞慶供養塔 小笠原貞慶は古河城主・小笠原秀政の父。文禄4年(1595年)に古河で亡くなったが、その墓の所在はしばらく不明にな...

鮭延越前守秀綱 墓所 鮭延寺 茨城県古河市

2021.8.26訪問大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )人気ブログランキング...

古河公方館 茨城県古河市

古河公方館イメ-ジ図です(・Д・)ノ永享の乱(1438~39)によって自害した鎌倉公方足利持氏の四男永寿王は、後に元服して宝徳元年(1449)に足利成氏を称する。しかし成氏は、政治の実権をめぐって関東管領上杉氏と抗争を続け、康正元年(1455)に鎌倉から古河の地に移り、古河公方と称した。後に渡良瀬川沿いの古河城に移るが、古河城の別館のあった当地は、寛永4年(1627)に廃止されるまで「鴻巣御所」ともよばれていた。 古河...

古河公方足利義氏墓所(県指定文化財) 茨城県古河市

古河公方5代目の義氏は天正10年(1582)古河城で死去したが、葬儀は翌年正月久喜(埼玉県)甘棠院で行われ、同所に葬られた。当地は義氏の娘氏女の法号により徳源院と称した寺の跡であるが、徳源院が存する以前から足利氏ゆかりの寺院があったことから、遺骸の一部が葬られたものと考えられている。 正面の石碑は大正15年に建てられた「古河公方義氏公墳墓」の標石、左の石囲いの中は氏女の宝篋印塔(ほうきょういんとう)である。これら...

松月院御所塚 茨城県古河市

第3代古河公方・足利高基開基の鎌倉円覚寺系列寺院。『円覚寺史』 などから、当初は高基法号の「千光院」と称し、のちに足利義親の正室の法号「松月院」に改称されたと考えられている。 開基の年代は不明だが、足利高基没年の天文4年(1535年)に近い時期である。足利義親は、最後の古河公方・足利義氏の娘・氏姫と、古河公方と対立してきた小弓公方末裔の足利頼氏との間に生まれた。この婚姻は豊臣秀吉の指示によるもので、頼氏...

龍興寺 埼玉県加須市

龍興寺は臨済宗鎌倉円覚寺派の寺で大光山と号し、ご本尊に釈迦如来を奉安しております。延宝6年(1678)第19世大渓和尚が書いた文書によれば大同年中(806~810)初代天祐和尚によって開かれました。第3代曇芳和尚(1437没)は荒廃していた龍興寺を立て直し後世に名を残しました。大本山円覚寺第58世歴代管長・お隣の建長寺第59世歴代管長も務めている祖師でもあります。現在の横田南嶺管長は第218世となります。龍興寺の境内は...

足利政氏館 埼玉県久喜市

足利政氏館@Googl足利政氏館概略図永正16年(1519年)、久喜に隠退した足利政氏は自らの館を寺として永安山甘棠院とし、子の貞巖(ていがん)を開山とした。その後、政氏に従ってきた家臣たちにより守られ、近世に入ってからも、徳川歴代将軍から朱印地100石を賜る格式を誇っていた。記録によると、政氏が館を寺に改めたのち、建物は天文17年(1548年)に火災により消失、翌年より再建に着手し、天文21年(1552年)に落成した。そ...

宝徳寺 群馬県桐生市

寺院概要宝徳寺は臨済宗大本山建長寺第73世仏印大光禅師を開山として、桐生地域の領主であった、桐生佐野正綱公の開基により室町時代の宝徳年間(1450年頃)に創建された禅寺です。当山の場所は桐生城(柄杓山城)の裏側に位置し、名久木の砦の入口を見渡す所にあります。これは城の裏口を護るための要害としてこの場所を選び建てられました。天正元年に桐生佐野家が太田の由良家に滅ぼされると、当山は保護者を失い荒廃してしまいま...

宝徳寺のお地蔵さま 群馬県桐生市

宝徳寺のお地蔵さま境内には、地蔵の小道があり多くのお地蔵さまがおります。なで地蔵、ほほえみ地蔵、よろこび地蔵、しあわせ地蔵他、皆さんを優しくお迎えします。それぞれのお地蔵さまに手をお合わせください。人気ブログランキング...

宝徳寺 2021ふうりん祈願

宝徳寺 2021ふうりん祈願(風鈴祭り)古来日本人は音鳴らして神仏に祈りを捧げてきました。仏壇では鈴(りん)を、年末には除夜の鐘を、神には鈴を鳴らして、 宝徳寺風鈴まつりは、風鈴短冊に願いを書き3000個の風鈴トンネルを歩いて祈願するといった行事です。ぜひご参拝ください。2021.8.22訪問大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )人気ブログランキング...

谷津館 群馬県桐生市

谷津館@Googl丘陵性台地の尾根に、東西82メートル、南北84メートルの方形の館跡があります。その四方は、約2メートルの土塁で囲まれ、周囲は約2メートルの深さで空掘が巡っています。土塁と掘の問には、約2メートルの幅で武者走りが設けてあります。高土居の中の面積は約6,000平方メートルあり、南土居の中央部は虎口状に切れています。谷津館跡は、新田氏の流れをくむ藪塚氏の居館として代々所有し現在に至ります。しかし、現在...

夜への灯 2021

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新城(川崎城) 栃木県矢板市

川崎城位置関係@Googl川崎城の北に位置し、川崎城の北側を守るために新たに取り立てられた城、といった性格のものだったのではないだろうか。又高速を挟んだ西側は根古屋で有り塩谷氏の菩提寺長興寺が在る。こう見ると川崎城は拡張整備の末に広大な城郭を有する城となったのだろう。川崎神社の説明板 これを見ると築城以前から在る事がわかる川崎神社拝殿拝殿から遺構方面を見上げる、下からでも削平されたのが見える拝殿脇の斜...