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ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・城館及キャンプ・・・花手水も熱い!!Photをどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます・・・・・そしてキャンプ覚醒へ!!

古城巡り 写真館

古山城 栃木県日光市

古山城@Googl㊟イメ-ジ図になります(ou(工)u)ノ古山城は鎌倉時代に和田義盛の三男でその武徳で知られた朝比奈義秀が篭った城と伝えられる。和田合戦で和田義盛が戦死し和田一族が四散すると、朝比奈義秀は自領の安房国朝夷(あさひな)に戻ったことが知られているが、伝承によると義秀はさらに日光の轟城に立て篭る畠山重慶を頼って鬼怒川を上り、当地に城郭を築いて古山城(小山城)とした。築城年は不明であるが、和田合戦が12...

手代塚城 長野県小諸市

手代塚城@Googl現地説明板に「築城年代は定かではないが、手城塚村、大梁村などの防衛の拠点として築かれたが、後、『小諸砂石鈔』に「長尾安芸守祐景が住居した」とある。長尾氏は大井氏の眷族であろう。」と記されている。栃木川右岸の台地に築かれており、北西台地と空堀で隔て、南東側に幅広の空堀で区切った3つの郭が配置されている。南の一番高いところが主郭で、手城塚稲荷が祀られている。2郭は畑、3郭は墓地となっており...

宮ノ入禰津氏館 長野県東御市

宮ノ入禰津氏館@Googl宮ノ入禰津氏居館は宮嶽山陵神社の参道入口の東側一帯に築かれていたという。 県指定天然記念物となっている「宮ノ入のカヤ」は禰津氏の居館の庭木であったと伝えられており、この木の所に土塁が東西に残っている。東側の土塁かやの木下の石碑館の庭木とされるかやの木西側の土塁館北側で奥に上の城が見える2021.5.24登城大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )人気ブログランキ...

禰津陣屋 長野県東御市

 禰津陣屋 Googl寛永元年(1624)、小諸藩主、憲良の庶兄である忠節が分地を受けた(宗家の小諸藩松平家は正保4年(1647)、無嗣除封された)。祢津に陣屋を置き21ケ村5560石の領地。歴代の代官としては落合、河合、塩川氏。現在は、表門と白壁そして奥に石橋が残ります。禰津陣屋表門禰津陣屋 石橋2021.5.24登城大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )人気ブログランキング...

禰津支城 長野県東御市

禰津支城 Googl㊟イメ-ジ図になります(。>ω<。)ノ詳細不明。禰津城を居城とした禰津氏の支城であったと考えられている。祢津城は南へ緩やかに伸びた尾根の上に築かれている。 現在鉄塔の建っている部分が主郭であるが、鉄塔の周辺以外は薮になっており、はっきりとした地形は把握できない!!主郭の北背後に土塁の付いた浅い堀切があり、そこから伸びる竪堀部分ははっきりしている。さらに少し北へ登った所にも浅い堀切がある...

禰津下の城 長野県東御市

禰津下の城 Googl昭和四十九年指定・市史跡祢津城山は、中世この山の東側に館を構え、一帯に勢力を持っていた豪族祢津氏の山城である。「上の城」「下の城」「戌亥の馬場跡」からできている。土地の人達は、本城と考えられる「下の城」を城山と呼んでいる。㊟イメ-ジ図になります(・Д・)ノ禰津城は下の城と上の城があり、この下の城が地元では本城と考えられており祢津城山と呼ばれている。 下の城は東部湯の丸SAの北方に聳える...

楽巌寺城 長野県小諸市

楽巌寺城Googl㊟イメ-ジ図になります天文年間(1532~1555年)に楽厳寺 雅方(らくがんじ まさかた)によって築かれたと云われている。楽厳寺氏はもともと布引山釈尊寺の末寺、楽厳寺の住僧であったが、武勇に長じ、この付近の豪族であった望月信雅の旗本となった、とされる。天文一七年(1548年)八月武田晴信(後の武田信玄)により楽巌寺雅方の居城、楽巌寺城は隣接する堀之内城と共に陥落。主人である望月氏は武田氏の軍門に降ったが...

武田信繁 墓碑 長野県小諸市

永禄4年9月 川中島合戦。信玄対謙信最大の戦いで信玄方副大将の信繁(信玄の弟)も乱戦の中討死した。。忠臣山寺左五左衛門は大激戦地の川中島で御首級を収める場所がなく御体のみを埋め(川中島の典廐寺墓所)首級は幌で包み甲州領地であった小諸へ向かった。(信繁嫡子信豊が永禄2年まで小諸城主だった)小諸に着いた山寺は信豊の家臣等と相談し、領内大久保の地を選び有合わせの陣鍋で首級を覆い葬ったといわれている。寛保の...

休暇村 嬬恋加沢キャンプ場 2021.5.23~24

休暇村キャンプ場はカラマツやシラカバに囲まれたキャンプ場です。春の新緑から秋の紅葉まで木もれ日の下で気持ちのいい時間を過ごせます。爽やかな高原のキャンプ場!!キャンプ場配置図 サイトは常設サイト、区画サイトを含め約50位?因みに本日は3組のみでした嬬恋加沢の空!!空が青い旧フリ-サイトで、全4区画しか有りません・・・・広々できます!!焚火からのサイト前常設サイト、管理棟から直ぐ側電源付き、流し付きの区...

中山城 群馬県高山村

中山城@Googl㊟イメ-ジ図になります(。>ω<。)ノ天正10年(1582年)頃、小田原北条氏が築いたとされる中山城。徳川と北条の領土争いが盛んだった頃、真田昌幸は当初北条方に帰属していたものの、一転して謀反を起こし、徳川方に付き従います。これを知った北条氏直が北条氏邦に命じ、真田の拠点「岩櫃城」と「名胡桃城」の中間にある中山の地を占拠させました。この際、北条氏の真田攻めの拠点として設置されたのが中山城です...

中山古城 群馬県高山村

  中山古城@Googl鎌倉時代初期この地に移り住んだ中山氏が城主とされ、中山氏の祖は児玉党の阿佐見弘方の子・実髙との伝承がある。同じく児玉党の阿佐見を出自とする岩櫃城主斉藤憲行の次男次郎幸憲が中山氏の祖とも云われる。いずれにしても中山氏の始祖は阿佐見実髙とする説で一致する。『加沢記』によれば、天正十年(1582年)六月、中山右衛門が津久田に於いて戦死したのを機に、中山古城は北条方に渡り、その...

役原城 群馬県高山村

役原城@Googl役原城初代は白井城主長尾景春の3男長尾重儀で、応永八年(1401年)尻高城を築城し、尻高左馬頭重儀と名乗った。重儀は息子に尻高城を譲り、役原城に隠居した。「役原地区住民センター」から東へ少し行き北への道が有ります、そこ進むと民家の裏に標柱よ説明板が有ります。色々な意見はあるだろうが、山崎一氏の図面では、案内板の建てられている東側の低地の地形と図面が一致している。役原城の標柱と説明板こ...

行田花手水 前玉神社 2021.5.9

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本日の忍城&花水手

2021.5.9人気ブログランキング...