FC2ブログ
ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・城館及キャンプPhotをどうぞ!!

Welcome to my blog

古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます・・・・・そしてキャンプ覚醒へ!!

古城巡り 写真館

鹿島城 茨城県鹿嶋市

鹿島城 Google常陸平氏の鹿島政幹が平安末期に築いた城である。それ以降鹿島氏の居城となった。本丸の跡地は現在、鹿島城山公園として市民の憩いの場になっている。二の丸跡地は茨城県立鹿島高等学校・附属中学校が立地している。 築城以来、改修や拡大をつづけてきたが、特に知られるのは鹿島義幹による大改修といわれる。 かつて鹿島城の縄張りの東端は現在の鹿島神宮二の鳥居のあたりまでであったという。現在実質的な鹿島神宮...

潮来陣屋 茨城県潮来市

潮来陣屋 Google潮来陣屋は、元治元年(1864年)武田正生(耕雲斎)の提言で潮来郷校や鹿島神宮などに参集した尊王攘夷派を鎮圧するため、弁天山に建設したものである。しかし、この目的とは反対に尊王攘夷過激派の拠点と化し、元治甲子の争乱で、幕府掃討軍の麻生藩兵によって焼き打ちにされた。神社参道脇にある、潮来陣屋標柱神社背後が陣屋跡・・・・・・・激藪!!人気ブログランキング...

島崎城 茨城県潮来市

島崎城 Google鳥瞰図 現地説明板より島崎城は常陸大掾氏の一族行方宗幹(景幹)の次子高幹が、鎌倉時代の始め島崎氏を名乗り、この地に住したことから始まった。代々左衛門尉を称し小高、麻生、玉造など行方四頭と呼ばれ、それら諸氏の中で最大の武威を誇り、領内に数か所の支城を配していた。戦国後期には麻生氏など同族を滅ぼし、鹿島氏も攻略し「南方三十三館」で筆頭の地位を得た。しかし、天正19年(1591)城主義幹は、佐竹...

林外城 茨城県鹿嶋市

 林外城 Google林城は平安時代末期、常陸大掾氏の一族鹿島三郎成幹の六男頼幹が林六郎左衛門と称しこの地に住し、その子孫の居城であった。 林氏の菩提寺である瑞雲時の記録によれば、室町時代には現在の位置に城が築かれていたのは判っており、応永年間(1394-1428)には林時則によって近くに瑞雲寺が建立されるなど、林氏の活動が活発になってくる。 当時、現鹿嶋市の林・青塚・奈良毛・角折・志崎などの地を領有して勢力...

鳳凰台城 茨城県潮来市

潮来市 鳳凰台城 Google桓武天皇の子、葛原親王を祖とする14代後裔、八郎平玄幹が大生氏を名乗りこの地に城を築いた。大生氏は当地の広大な領地を有していたが、島崎氏に攻略されその出城となり、その後島崎氏も佐竹氏の奸略に遇った。さらに、佐竹氏も秋田に移封となるに及び廃城となる。台地先端部の雑木林の中に、城址碑があり、城跡周辺は一面耕作地で遺構は・・・・無!!台地先端部の雑木林、左手側に城址碑がある鳳凰台城...

堀之内大台城 茨城県潮来市

 城之内大台城 Google堀之内大台城は佐竹義宣によって築かれた城です。1590年(天正18年)の「小田原征伐」に参陣したことで豊臣秀吉の後ろ盾を得た義宣は、その翌年、島崎城主・島崎安定など常陸南部を支配していた国人衆「南方三十三館」を謀殺すると、島崎城に代わるあらたな拠点としてこの城を築き、小貫頼久を城代としました。しかし1602年(慶長7年)に佐竹氏は秋田へ転封となったため、短期間で廃城となりました。現...

長山城 茨城県潮来市

長山城 Google長山城は小高城・小高氏の一族である小高知幹が、鎌倉時代中期に当地に入って築城したのが始まりとされています。この一族は長山氏と称して戦国時代に至るまで勢力を維持し続けますが、1522年、近隣の嶋崎氏に攻められて長山城は落城。当主である長山幹綱は自害して果てますが、その子・政幹は佐竹氏のもとに逃れ、その保護を受けることになります。嶋崎氏は長山城を攻める際、長山城の東にある川を夜渡り、攻撃を行い...

龍会城 茨城県鹿嶋市

 龍会城 Google龍会城(りゅうげじょう)は鹿島氏が鹿島城へ移る前の城であったと言われています。「りゅうげ」というのは「ようがい」がなまったものではないだろうかと考えられています。戦国時代には龍会城の下まで海が入り込んでいて、龍会城が落城したとき、城内にいた女子供たちは下の湾に次々と身を投げていったという伝承が地元に残っているそうです。龍会城は台地の縁を高さ2〜4mほどのかなり高い土塁が巡らされ...

塚原卜伝墓所 茨城県鹿嶋市

塚原卜伝墓所塚原卜伝は延徳元年(1489)鹿島神宮の神職卜部吉川家に生まれ、塚原城の城主塚原土佐守安幹の養子になりました。 少年時代に鹿島の太刀、香取神道流などを習い、剣の達人としての第一歩を踏み出しました。 卜伝は生涯3回の廻国修行をし、足利義輝やその弟義昭などにも指導したと伝えられています。 その後、卜伝の剣術は、甥の吉川晴家に伝えられ、「鹿島新當流」として県の無形文化財に指定されています。卜伝は...

大福御前 自刃の地 埼玉県寄居町

北条氏邦の妻・大福御前の碑。彼女は藤田康邦の娘で、豊臣秀吉の北条征伐の折に鉢形城を攻撃した藤田信吉(上杉勢の先鋒)は弟であった。大福御前は寄せ手の弟を介して城兵の安全を図った。このため多くの城兵の命が助けられたといわれる。正龍寺の門前から右に入った畑の中にある。花園城周辺地図 Google人気ブログランキング...