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ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・城館及キャンプ・・・花手水も熱い!!Photをどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます・・・・・そしてキャンプ覚醒へ!!

古城巡り 写真館

岩村城 2012初夏

城は江戸諸藩の府城の中でも最も高い所(標高717m)に築かれ、高低差180mの天嶮の地形を巧みに利用した要害堅固な山城で、霧の湧き易い気象までも城造りに活かされており、別名「霧ケ城」ともよばれています。 この城が名城と言われる由縁は、単にその規模と大きさだけでなく、その永い歴史に由来しています。1185年(文治元年)源頼朝の重臣「加藤景廉(かとうかげかど)」がこの地の地頭に補せられ創築されてから、鎌倉・室町の300年...

潜龍院跡 2013春

織田・徳川連合軍による甲州征伐時、真田昌幸が主君・武田勝頼公に退却を進め、名門武田の家運を挽回しようとしたのが「岩櫃城」。結果、勝頼公は岩櫃には入らず、天目山で自害してしまうが、昌幸様が勝頼公を迎えるために3日間で建てたといわれる館城が、古谷御殿。そこに潜龍院という寺があったため、この地を「潜龍院跡」と呼んでいる(東吾妻町郷原古谷地区)人気ブログランキング...

苗木城 2012初夏

苗木城は,中津川市内を東西に貫流する木曽川の右岸に一段と高くそびえる城山(432m)に築かれていました。木曽川から山頂の天守跡までの標高差は約170mあります。岩山の上で利用できる土地の確保が困難であったため,建物の構築方法に懸造(かけづくり)が使われているなど,自然の地形を有効に生かして築かれた山城です。 城の建物は明治4年に取り壊され,現在は石垣のみが遺されています人気ブログランキング...

高島城2013秋

高島城は別名「浮城」とも呼ばれ、400年ほど前の慶長3年、豊臣秀吉の家臣「日根野織部正高吉」により築城され、諏訪氏の居城としてその威容と要害堅固を誇ってきました。人気ブログランキング...

舞鶴城 鹿児島県

舞鶴城 朱門舞鶴城は、国分小学校と国分高校の運動場のある一帯にありました。南側の道路に面して、高さ3メートル、長さ200メートルの石垣とその前の堀、そして2つの石橋が昔の面影をわずかに残しています。島津義久が富隈城(隼人町)から舞鶴城に移居したのは、慶長9年(1604年)のことで、7年間居城されました。館造りとともに城下町(現在の市街地)もこの頃造られました。...

浮野の里 埼玉県加須市

浮野の里案内図昔ながらの田園風景を残す『浮野の里』(うきやのさと)は、周辺には屋敷林や田堀、くぬぎ並木などの田園景観が保全され、平成7年度には全国「水の郷」百選に認定され、平成19年度には埼玉県から「緑のトラスト保全第10号地」に指定されています。4月上中旬には、ノウルシが鮮やかな黄色に色付きます。ノウルシは、トウダイグサ科の多年草で、浮野の里には約1,000平方メートルの群生地があります。ノウルシは、絶滅...

私市城(騎西城) 埼玉県加須市

私市城 Google*現地説明板を参考にしました江戸時代初めの騎西(私市)藩の藩庁が置かれた城。湿地に築かれた沼城である。築城時期、築城者はわかっていないが、執事(関東管領)の山内上杉氏と室町幕府(足利将軍家)とが対立し、鎌倉から下総国古河(茨城県)に拠点を移した鎌倉公方(古河公方)の足利成氏が1455年(康正1)に、深谷上杉氏(山内上杉氏の支流)の庁鼻和(こばなわ)性順(上杉憲信)と長尾景仲が守る同城を攻略し...

菖蒲城改 埼玉県久喜市

菖蒲城 Google菖蒲城は、武蔵国埼玉郡新堀村(現在の埼玉県久喜市菖蒲町新堀)にあった日本の城。古河公方足利成氏が、康正2年(1456年)に金田式部則綱に命じて築城させた。城の竣工が5月5日の菖蒲の節句にであったために命名された。天正18年(1590年)小田原征伐ののち廃城となり、以降は徳川家康に仕えた内藤正成が栢間陣屋(現在の久喜市菖蒲町下栢間)を構えて5700石を知行し、上級旗本として14代、幕末まで同地を治めた。 ...

稗田神社 東京都大田区

寛政12年(1800年)に北蒲田村の氏子によって寄進されました。区内の石鳥居の中で古いものの一つです。なお、稗田神社は、平安時代に編さんされた『延喜式(えんぎしき)』(注釈1)に記載のある古社です。また、『三代実録(さんだいじつろく)』(注釈2)に貞観(じょうかん)6年(864年)「武蔵国従五位下蒲田神を以って、並びに官社に列す」とあるのが、この神社であろうといわれます。(直ぐ隣りが、円頓寺・行方氏館跡です)...

行方氏館 東京都大田区

行方氏館 Google行方氏館は、戦国時代に行方直清によって築かれた。 直方は、武蔵六郷の領主で、小田原北条氏の家臣であった。 天正18年の豊臣秀吉による小田原攻めの時、上杉景勝・前田利家の軍勢により攻められ、直清は討ち死にした。円頓寺がかつての館。行方直清供養塔や館について記載されている碑がある。円頓寺が館とされる行方氏供養塔説明板・・・・中へは入りませんでした。2013年登城人気ブログランキング...

斎藤氏館 東京都大田区

斎藤氏館 Google斎藤氏館は永禄年間(1558年~1570年)に、斎藤政賢により建てられたといわれています。政賢は後北条氏に属しており、1589年に病没したとも、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めで没したとも言われています。妙安寺がかつての館。館跡に妙安寺を創建した妙安尼(政賢の妹、行方氏室)の供養塔がある。斎藤氏館 八幡神社から妙安寺とされる斎藤氏館 妙安寺妙安寺本堂行方氏室 妙安尼供養塔2013年登城人気ブログランキング...

山川不動尊 茨城県結城市

山川不動尊とは、真言宗豊山派 明王山不動院大栄寺が正式な名前で大栄寺の本尊が山川不動尊(不動明王坐像)。平将門公の守り本尊、不動明王坐像は収蔵庫の方に保管されています。弘法大師作で京都の東寺より将門公が持ち帰ったものという。山川不動尊山門楼門山川不動尊参道山川不動尊説明板山川不動尊本堂鐘楼大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )人気ブログランキング...

光國山 梅香院 東持寺 茨城県結城市

東持寺の参道東持寺沿革東持寺は、文亀三年(西暦1502年)上山川、原に同地の諏訪神社の別当寺として山川氏十一代朝貞によって建立された。その後、元和元年(西暦1615年)山川城には水野忠元が入城し、領主となり、寛永三年(西暦1626年)に当山は、現在地に移山し、現在に至っている。境内諸堂の三宝殿内には正和大板碑(西暦1317年)建立が祀られ市の文化財である。薬師堂は笠間藩主牧野成貞の寄進建立である。摂受院(大書院)...

結城家御廟所  茨城県結城市

室町時代に結城氏の居城となった結城城跡の南東に,20基の五輪塔が立ち並ぶ一角があります。そこは,結城氏初代の朝光から16代の政勝までの16人の歴代城主の霊を祀った御廟所で,もとは結城城内にあったものを,天文22(1553)年,政勝が慈眼院を建立して移したものです。 慈眼院は,江戸時代まで乗国寺に属していましたが,今は廃寺となり,小高い丘には結城家御廟が残されました。見事な五輪塔が立ち並ぶ墓の周囲には,土塁や堀が...

玉姫の墓 茨城県結城市

関白・九条兼実の娘(七女)で浄土真宗の開祖・親鸞の妻といわれる人物。親鸞の妻は恵信尼(えんしんに)とされるが、玉日姫と恵信尼が同一人物であるという説もある。親鸞とともに京都へは帰らず、結城で没したとされる玉日姫は越後へ流される親鸞の後を追い、侍女・白川局とともに結城に来た。結城に留まり、親鸞の教えを広めることになった。1254年(建長6年)、玉日姫は結城にて没する。結城に「玉日姫の墓」があるのは、そのためで...