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ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・城館及キャンプPhotをどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます・・・・・そしてキャンプ覚醒へ!!

古城巡り 写真館

旧河野邸 埼玉県加須市

旧河野邸案内図 河野家は玉敷神社に代々仕えていた家柄。河野省三氏はその家の次男だった人です。旧河野邸門旧河野邸内 建物は残っていません旧河野邸石燈籠河野省三明治15年(1882)に騎西町(現加須市騎西)の神官の家に生まれました。私立埼玉中学校(現不動岡高校)を卒業後、国学院大学で国語・漢文・歴史を学び、明治36年(1903)、同大学を卒業後、玉敷神社社司を務めるかたわら、母校の埼玉中学校の教師となり、大正4年(1915)か...

玉敷公園の藤 埼玉県加須市

玉敷公園の藤は推定樹齢450年以上の大藤(県指定天然記念物)で有名で、約1メートルの花房を垂れ、100畳敷きとも呼ばれる藤が甘い香りを漂わせ淡い紫色に咲き誇ります。...

玉敷神社 埼玉県加須市

玉敷神社  大己貴命を主祭神とする。式内社で、旧社格は県社。埼玉県の元荒川流域を中心に数多く分布する久伊豆神社の総本社的存在である。 玉敷神社説明板社伝によれば、大宝3年(703年)、東山道鎮撫使・多次比真人三宅磨によって創建された。一説には、成務天皇6年(136年)、武蔵国造・兄多毛比命の創建ともいう。延喜式神名帳では「武蔵国埼玉郡 玉敷神社」と記載され、小社に列格している。 元は現在地の北方の埼玉郡正能...

椎塚城 茨城県稲敷市

椎塚城Google三宝ゴム工業という会社の南西200mほどのところである。三宝ゴムの南50mほどのところで、道が東側にカーブするあたりから、祠を回り込み未舗装の山道(不明瞭)を歩いていけば、やがて城の北東側の虎口につながっていく。土塁・堀の規模は小さいがほぼ長方形の全辺が残る。西側角には隅櫓と思われる土塁の高まりがある。かつてこの地は吉原といっていたが、その後、宍塚、椎塚と名称が変更された。  ㊟イメ-ジ...

東条高田城 出城 茨城県稲敷市

東条高田城 Google 高田神社が東条高田城で谷津を挟み右手側が出城(神主宅)南北朝時代の騒乱期に、この神社の神主千田内蔵助義信が、軍勢を率いて南朝方に加勢したという伝承が伝わる。神社の駐車場端に土塁痕が有り、神社背後に土塁とされる土壇が有る、遺構的にはこちらよりも谷津を挟んだ向かいの神主宅が出城とされ此方の方が素晴らしい遺構が残る。神主宅の周囲は土塁が廻り、とくに東側には堀と土塁が残っている。㊟イメ...

鳩崎狼煙台 茨城県稲敷市

鳩崎狼煙台Google鳩崎狼煙台は、高橋川に臨む比高12mほどの鷲神社のある高台である、物見台や狼煙台を置くにはふさわしい場所であり霞ヶ浦に面した大山地区と江戸崎との間の連絡用の狼煙台の1つであろう。鳩崎狼煙台遠景鷲神社石階段鳩崎狼煙台 山頂部神社人気ブログランキング...

江戸崎城 茨城県稲敷市

江戸崎城Google嘉慶1年(1387)美濃(岐阜県)出身の武士、土岐原氏が、室町幕府の重職である関東管領上杉氏の求めにより、信太庄惣政所(そうまんどころ)=直接土地に根付いて統治する職務者としてこの地に入り、江戸崎城を築きました。築城年代は室町初期頃と推定されています。土岐原氏は、稲敷地方一帯を約200年間にわたり統治し、江戸崎まちなか地区の原型を作りました。土岐系図には、土岐原景秀が江戸崎城を修築したと記...

羽賀城 茨城県稲敷市

羽賀城Google江戸崎土岐氏の臣臼田勘解由左衛門尉の居城であったことから別名臼田城ともいう。この臼田氏はもと上杉憲定の被官として嘉慶元(1387)年に布佐郷丸山館(現美浦村)に入部しその後ここ羽賀へ移ったと考えられている。羽賀城はおそらくは戦国期、江戸崎土岐氏の西方の守りとして重臣臼田勘解由左衛門尉に守らせた城だった云われる。現在城址には羽賀神社があり、台地の西端に土橋で繋がった東西ふたつの曲輪と土塁が残って...

二条城(森戸城) 茨城県稲敷市

二条城Google二条城は、国道408号線沿いにある江戸崎化学という工場の背後にある比高20mほどの台地上にあった。二条城の奥には二軒のお宅が有り、この2軒のお宅には、かつて土岐氏から拝領した槍や刀があるそうで土岐氏の家臣で在ったのだろうか?城の中心が、「二条城」「二条山」の2つあることである。どちらが中心であったのか。全体の構造から想像するに、もともとは2軒のお宅のある場所の方形単郭の居館であったのではな...

沼田城 茨城県稲敷市

沼田城Google集落の奥に常晃寺という寺院がある。この常晃寺の東側の比高15mほどの山中に、通称「二重堀」と呼ばれている遺構があり地元では「二重堀」と呼ばれており、城というよりも、堀として認識されている。簡単に言うと、台地上に上がる東西の道は切り通し状になり、それを繋ぐようにして台地を東西に掘り切るような堀が台地上に展開している。江戸崎土岐氏が構築したと言われる。この堀・土塁は沼田の集落を守るための施設...