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ようこそ!!古城巡り写真館へ(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・城館及キャンプ・・・花手水も熱い!!Photをどうぞ!!

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古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます・・・・・そしてキャンプ覚醒へ!!

古城巡り 写真館

改 平戸城 長崎県平戸市

平戸島の北部、平戸市街の東部に位置する。平戸港を見下ろし、対岸の九州本土を望む平戸瀬戸に突き出た丘陵上にある。 三方を海に囲まれ天然の堀としている。丘陵の頭頂部に本丸が築かれ、その南側に二の丸、東側に三の丸が配された梯郭式の平山城である。 最初は安土桃山時代の末期に松浦鎮信(法印)によって築かれたが破却され、江戸時代中期になって再建された。再建にあたっては山鹿素行の軍学に沿って縄張りがなされたという...

羽黒城 愛知県犬山市

築城年代は定かではないが建仁年間(1201年~1204年)に梶原景親によって築かれたと云われる。 梶原景親は源頼朝に仕えた鎌倉幕府の重臣梶原景時の二男景高の子である。梶原氏は正治2年(1200年)鎌倉を追われ上洛するさなか、駿河国清見関での戦いに敗れて一族の多くが討死した。そのうち景高の子豊丸が乳母に連れられて羽黒へ落ちのび、長じて景親と名乗り現在の興禅寺に館を構えた。梶原氏は羽黒一帯に勢力を持ち、信長に仕えた梶原...

堀尾吉晴 松江城

慶長9年(1604年)、父の忠氏が早世したため、幼くして跡を継いだ。しかし政治を取り仕切れるような年齢ではなかったため、祖父の吉晴が忠晴に代わって執政を行なった。このとき伯母(吉晴の長女、名前は不明)と一族で筆頭家老の堀尾河内守(吉晴の娘の子)親子による家督横領の陰謀が発覚し、河内守と掃部の父子は流罪のうえ切腹を申し付けられている。後の仙石騒動にも似た事件であり、有力外様大名家の内紛とあって改易されて...

松平直政  松江城

慶長6年8月5日生まれ。結城秀康の3男。徳川家康の孫。大坂冬の陣に14歳で初陣。元和2年兄松平忠直から越前木本に1万石をあたえられる。上総姉崎越前大野,信濃松本をへて,寛永15年出雲松江藩主松平(越前)家初代となる。18万6000石。国務の要領6ヵ条で藩政の基本をしめした。寛文6年2月3日死去。66歳...

竹中半兵衛 垂井駅前

美濃菩提山城主竹中重元の子。半兵衛というのは通称。名は,はじめ重虎といったが,のち重治と改めた。稲葉山城主斎藤竜興に仕えていた永禄7(1564)年2月,竜興の寵臣政治にたまりかね,わずか十数名で稲葉山城を乗っ取ったことはよく知られている。その後,城は竜興に返したがそのまま蟄居し,同10年,織田信長が斎藤氏を滅ぼすと,豊臣秀吉の誘いによって信長方となり,元亀1(1570)年の姉川の戦のころから秀吉の与力につけられた。居城の菩...

小里城 岐阜県瑞浪市

小里光忠が天文3年(1534年)に小里川南岸の城山に築いた。それ以前は付近の小里氏の菩提寺である興徳寺の西に小里新城があり、土岐氏や小里氏の居城だったとされる。小里氏は土岐元頼ないしその子の頼連から始まったとされ、元頼の戦死後は諸国を放浪したが、越前国の朝倉氏の後援を得て土岐、恵那両郡の旧領・約3,600石余を取戻した。ただし、築城者の光忠が土岐氏の系譜を引くかは不明とされる。 光忠は織田信長に従ったが元亀...

明智城 岐阜県恵那市

明智城絵図 説明板より㊟表題の可児市は恵那市の間違えです恵那郡明知は、北は岩村・恵那、東は信濃国伊那郡飯田、西は土岐郡、南は三河国賀茂郡足助・額田郡岡崎に街道が通じる、交通の要衝の地である。遠山氏祖の遠山景朝の父親である、源頼朝の重臣の加藤景廉が明知を含む遠山荘の地頭に任ぜられ、それ以降、明知遠山氏累代の土地であった。 戦国時代の後期には、岩村・阿照・明知・串原・苗木・安木と並んで遠山七頭と呼ばれ...

石田神社 滋賀県長浜市

石田町上雑附に鎮座し、古代の古墳上にある。石田三成先祖の邸趾で、三成の尊崇を受けたといわれる。江戸時代に文書類は煙滅した。 境内には石田三成供養塔及び一族の墓石がある石田神社が鎮座する。 関ヶ原の戦い後、石田三成の敗戦を知った石田郷の人々は 徳川方からの追及を逃れるために石田三成の先祖の墓を八幡神社の裏の地中に埋めて隠す。 時を経て昭和16年に発掘で発見され、30年の月日を経てこの供養塔が整備されるに至る...

石田屋敷 滋賀県長浜市

石田三成公は永禄三年(1560年)にこの石田町に誕生されました。その当時の石田家の屋敷はこの付近一帯にわたり、約一町四反歩位あったものと思われます。現在地は屋敷の南端に当たり、ここから北へ現在のバス停付近まで屋敷があったようで、この地域の小字名は「治部」と称し、俗称「ごいで」とも言われています。隣接地に「的場」「御畑」「堀端」などの小字名から当時の豪族らしい構えが伺われます。左手の池は「堀端」また...

佐和山城2013改 滋賀県彦根市

 ㊟城巡りを始めた頃の為、見落とし多数あり坂田郡および直近の犬上郡のみならず、織豊政権下において畿内と東国を結ぶ要衝として、軍事的にも政治的にも重要な拠点であり、16世紀の末には織田信長の配下の丹羽長秀、豊臣秀吉の奉行石田三成が居城とし、関ヶ原の合戦後は井伊家が一時的に入城したことでも知られる鎌倉時代、近江守護職・佐々木荘地頭であった佐々木定綱の六男・佐保時綱が築いた砦が始まりとされ、建久年間(...

改観音寺城2013  滋賀県近江八幡市

㊟城巡りの始めた頃の為、未確認多数あり近江源氏の佐々木氏、後に近江守護六角氏の居城で、小脇館、金剛寺城を経て六角氏の本拠となる。 標高432.9m、南北に伸びる繖(きぬがさ)山の山上に築かれる。南腹の斜面に曲輪を展開、家臣や国人領主の屋敷を配した。総石垣で、安土城以前の中世城郭においては特異な点とされる。天文年間には城下町・石寺も置かれ、楽市が行われていた。周辺は琵琶湖や大中の湖、美濃から京都へ至る東山...

近江八幡城・秀次居館2013 滋賀県近江八幡市

八幡堀は琵琶湖から引いた八幡町の外に巡らし、八幡山の麓を八幡堀と塁で囲み、その中に羽柴秀次居館や武家屋敷を配し、防御と同時に運河として重視した。長さ6kmに及ぶ八幡掘は廃城後も明治時代、大正時代まで商工業の動脈として役割を果たしていた。堀幅11-18m、深さ1.4mの規模を持っている。琵琶湖から直接舟入できるようにし、羽柴秀次時代には往来する舟は八幡に立ち寄らなければならない決まりを出した。八幡浦は回船業を営...

松井田城2020 群馬県安中市

現地パンフレットより松井田宿北方の尾根にある山城で、城の北側には碓氷道・東山道が通り、南側には中山道が通る交通の要衝に位置する。また碓氷峠に備える役割も担っていた。 南北1km・東西1.5kmに広がる城で、東西に伸びた比高130mの尾根を城郭化している。また、断崖の南側に対して北側はなだらかな枝尾根が尾根から手指のように伸びており、この枝尾根も城郭化されている。東端に浅間出丸、尾根東半分には安中郭、西半分には...

大道寺政繁墓所 補陀寺 

補陀寺山門大泉山補陀寺は群馬県安中市松井田町新堀に境内を構えている曹洞宗の寺院です。補陀寺の創建は室町時代の応永年間(1394~1428年)、無極慧徹禅師(肥前国出身、室町時代の曹洞宗の高僧)によって開かれたのが始まりと伝えられています。当初は草庵でしたが、無極慧徹禅師が美濃国の大泉山補陀寺の住職時代の弟子で跡を継いだ月江正文(尾張楞厳寺、上野双林寺、武蔵普門院を開山)が、寺号を移した事で正式な寺...

坂本城 群馬県安中市

㊟イメ-ジ図になります坂本城の歴史について、正確な所は不明である。武田氏が安中地域進出の足掛かりとして構えたと想定される城郭としては、中山道を抑える愛宕山城がある。愛宕山城とは直線で1kmほどの近接地にあり、関連しあった城郭と想像するのは自然な発想である。ただ、私は、武田氏が軍事拠点として築いた城郭としては違和感を感じてしまうのである。愛宕山城については、街道を抑える要衝としての機能があり、橋頭保...