FC2ブログ
星の数ほどの城館(*ノωノ)随時更新中・・・・・・・・・・PhotoMovieで見る 城館をどうぞ!!

Welcome to my blog

古城巡り写真館へ、ようこそ!!
北関東を中心に、城館をPhotoMovieにて紹介します
近年(又は現在)の城館を紹介して行きます。

古城巡り 写真館

唐沢山城2019 栃木県佐野市

㊟イメ-ジ図になります(。>ω<。)ノ佐野市街地の北方約5キロメートルの唐沢山(247メートル)山頂を本丸として一帯に曲輪が配された連郭式山城である。戦国時代において、佐野氏第15代当主・佐野昌綱による唐沢山城の戦いで有名で、上杉謙信の10度にわたる攻城を受けたが、度々撃退して謙信を悩ませた。関東地方の古城には珍しく高い石垣が築かれているのが特徴である。続日本100名城に選ばれた。 現在は栃木県立自然公園の一部...

松前城 愛媛県伊予郡松前町

築城年月は不明。 南北朝時代には、大森彦七らが城主になった。 戦国時代には河野氏の拠点の一つであったが、天正13年(1585年)豊臣秀吉の四国征伐で、河野通直は敗れ、松前城は粟野秀用が城主となった。 しかし、粟野秀用は、豊臣秀次事件に連座し除封され、文禄4年(1595年)、加藤嘉明が城主となった。 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでは、加藤嘉明は、東軍に従い城を留守としていたが、西軍の毛利軍と、河野氏の残党が松前城...

今治城 愛媛県今治市 改

慶長7年(1602年)、藤堂高虎[1]によって築城開始され、慶長9年(1604年)に完成した。普請奉行として渡辺了の名が知られている。今治城完成以前の今治の支配拠点は、唐子山山頂にあった国府城であったが、より能率的な都市経営を目指すため築城された。構造は、三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、当時は海から堀へ直接船で入ることができるなど海上交通の要所今治らしく海を最大限に活用した城となっている。日本三大水城...

大洲城 愛媛県大洲市 改

大洲の地は、伊予を南北につなぐ大洲街道・宇和島街道の結節点にあり、また東には四国山脈を抜けて土佐国に出る街道がある。また、すぐ西には大洲の外港とも言える八幡浜(現・八幡浜市)があり、大洲は歴史的にはやや鄙びた立地ながらも交通の要衝と言える場所にあった。伊予宇都宮氏が創建した当初は、肱川と久米川の合流点にあたる地蔵ヶ岳に築城したことから地蔵ヶ岳城と呼ばれた。 江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に...

須影八幡神社 埼玉県羽生市

 この八幡神社は。「新編武蔵風土記稿」に「村の鎮守なり、慶安二年八月二十四日、社領十九石五斗余を賜う、」と記されており、別当(寺院が神社を管理していたこともある)として蓮華寺の名前も見えます。その最後の住職であった潮元が、安政四年(1857年)から慶応元年(1865年)まで現在の本殿と拝殿を造営したものです。 本殿の壁面には西、北、東の3面に彫刻が2つずつ残されています。西側は「七福神」、北側は「神功皇后縁...

長光寺 埼玉県羽生市

『新編武蔵風土記稿』によると、“斎藤内左衛門”が開基したという。羽生城は勢力伸長を図る後北条氏によって維持が不可能となる。そして、天正2年(1574)閏11月に自落した。斎藤盛秋は“上杉謙信”に仕えていた、不安定な関東の情勢を懸念し盛秋を羽生城に派遣したのである、城兵は謙信が引き取り斎藤氏は羽生に残る。長光寺 参道斎藤家はその後帰農した、内左衛門は前述のとおり、今泉村の名主となり、長光寺を開基した。斎藤家の...

源長寺 埼玉県羽生市

『新編武蔵風土記稿』によると、開基は羽生城主木戸忠朝とある。羽生城時代には、砦として機能していたのでしょう。伝承によると、矢狭間のある塀が寺の周囲を張り巡らしていたそうです。また、上杉謙信が源長寺の山門に大砲を設け、羽生城に向けて撃ったという伝説もあります。「武田家の高札」は、上杉謙信と後北条氏が和睦を結び、手すきになった羽生近辺に侵攻してきたときに、立てられたものだと言われています。すなわち元亀...

葛浜氏館 埼玉県羽生市

南羽生駅の近くに鎮座する“神戸(かんべ)明神社”。かつてこの一帯を治めていた武蔵武士“葛浜氏”が、館を構えて住んでいたとされる。南羽生駅北東に千眼寺がある、実はその山号を「那智山萬蔵院」と号す、いまや姿形はなくともそうはっきり記されている。『新編武蔵風土記稿』によると、千眼寺が荒廃したとき、萬蔵院も同時に廃寺となったという。そこで“乗良”という者が両寺を合わせた一寺を再興。そのため千眼寺の山号は「那智山...

岩松寺 埼玉県羽生市

曹洞宗の寺院、上州太田の金龍寺の末で瑞雲山と号する。岩松寺四世泉光和尚の『中岩瀬天神宮縁起』によると、天文13年(1544)の春、羽生城主木戸伊豆守忠朝によって建立されたとある。  また、境内に存する『当山開創縁起』碑には、開基は小田原城主北条氏康の軍将である柴山縫殿介で、法名を岩松院春桂居士といい、元和3年(1617)2月13日に没した。開山は、金山金龍寺第6世住職の叡州玄珠であるとあるとし、次のような...

宇和島城 改 愛媛県宇和島市

2013年1月登城宇和島城は、中世期にあった丸串城(板島城)の跡に藤堂高虎によって築かれた近世城郭である。標高74メートル(80メートルとも)の丘陵とその一帯に山頂の本丸を中心に囲むように二ノ丸、その北に藤兵衛丸、西側に代右衛門丸、藤兵衛丸の北に長門丸(二ノ丸とも)を中腹に配置し、麓の北東に三ノ丸、内堀で隔てて侍屋敷が置かれた外郭を廻らせる梯郭式の平山城で、東側に海水を引き込んだ水堀、西側半分が海に接して...